8/14 ルクソール西岸観光


【ルクソール西岸について】

 ルクソール西岸といえば,エジプト新王国時代の歴代ファラオが眠る王家の谷や王妃の谷などの,彩色壁画が当時のまま残る数多くの墳墓群が点在することで有名です。その美しさや保存状態のよさには目を見張るものがあり,ここを訪れる観光客も後を絶ちません。また他にも,ハトシェプスト女王葬祭殿やメムノンの巨像,アラバスター製品の製造販売所などの見どころがあり,前日の東岸とこの西岸合わせると,エジプト国内の遺跡のうち,かなりの数を占めます。
 王家の谷には,黄金のマスクなどまばゆいばかりの財宝が見つかったツタンカーメン王の墓や,壁画,天井画の彩色が美しく残るラムセス6世,9世,3世といった歴代ファラオの墓が数多くあります。また王妃の谷の目玉とも言えるネフェルタリ王妃の墓の美しさは圧巻です。(後述)是非訪れたいところの一つです。そして,何年か前に邦人を含む多くの人が銃撃される事件でニュースにもなったハトシェプスト女王葬祭殿(葬儀を行う場所)も見どころの一つです。

【ルクソールの夜明け】

 この日の朝食はなんと5時15分。なぜこんなに早いかというと,できるだけ早い時間に観光をするためです。早い時間に観光する理由はというといくつかありますが,まず,できるだけ涼しい(といっても暑いのだが…)時間帯に観光をするということ。それと,ほかの観光客が動き始める時間より一足先に観光することで混雑を回避するということです。
 ホテルを出発したのが朝の6時です。まだ日が昇っておらず,暗い中の出発となりました。(飛行機の都合で,この日は永い一日となりますが,ことの時はまだ知るよしもありません。)ちなみに,ほとんどの遺跡が夏期は6時から開いているようです。

【メムノンの巨像】

ルクソールの朝焼け ルクソール西岸観光に向かうということは,ホテルのある東岸からナイル川を渡らなくてはなりません。日本のように川のいたるところに橋があるわけではなく,上流に向かって結構進みました。最近できたばかりという橋を渡りました。この橋ができる前は,西岸に行くのに,フェリーを利用するため,もっと時間がかかったそうです。
朝日を浴びるメムノンの巨像 橋を渡り,サトウキビ畑を両側に見ながらしばらく進むと,バスの後ろ(東)から日が昇ってきました。赤茶けた大地を真っ赤に照らす大きな太陽でした。
 その太陽の日を真正面から浴び,メムノンノ巨像は立っています。左右2体ある座像は,新王国時代絶頂期の王,アメンホテプ3世のものです。もともと,座像の後ろには,彼の葬祭殿があったそうですが,後の王達が石材としてその石を使用し,完全に破壊され,プトレマイオス朝には,ギリシア神殿のメムノンのものとされ,現在の名がついたそうです。ローマ支配時代に起きた地震により,ひびが入り,激しい温度差によるきしみ,または風によって「像が歌う」といわれ不思議がられていたそうです。しかし現在はその後の補修工事により音はしないそうです。
 メムノンノ巨像の周辺には,熱気球がいくつか飛んでいました。熱気球で西岸観光をするツアーもあるそうで,もっともっと早朝から始まるツアーだそうです。(右の写真にポインタを合わせると気球が飛んでいる様子がわかります。)

【王家の谷】

 ここにあるすべての墓は,新王国時代に岩を掘って作られたものです。地表から階段を下りていくと,前室などを経て石棺の置いてある玄室に至ります。第18王朝の墓は,前室から玄室の間で直角に曲がっていますが,第19王朝以降のものは,直線的なものが多いそうです。王家の谷にある墓は全部で60ほどありますが,現在公開されているのはそのなかの10ほどです。状態により閉鎖されたり,順番に公開される墓が変わっていくので,いつでも目的の墓を見ることができるということではないようです。王家の谷のチケットはツタンカーメンの墓をのぞく3つに入ることができる券で,20LE(約530円)です。ツタンカーメンの墓は,そこだけで40LE(1100円弱)です。 
 入り口(ゲート)の前でバスを降り,ボディチェックの後入場します。土産物屋が数十軒,軒を連ねていて,その横を通り抜けるとシャトルトレイン乗り場です。歩いていってもよいそうですが,さすがにこの暑さの中,坂道を上るとなるとためらいます。ここは乗り物を利用した方が良さそうです。

【ツタンカーメン王の墓】

 王家の谷での目玉は,なんといってもツタンカーメン王の墓です。といっても,墓から出たものはカイロの考古学博物館に収蔵されているので,ここにあるものはすべてレプリカです。ただ,ここからそれらのものが出てきたと思うと,どうしても胸が高鳴ります。ほかの墓は10LE(50円)でカメラを持ち込め,写真撮影が可能でしたがツタンカーメン王の墓は持ち込み不可です。入り口でカメラを預け,入場することになります。
 ほかの墓では,ガイドが中で説明をすることができるのですが,ここだけは特別で,中ではいっさい説明行為をしてはいけないそうです。従って入場前に入り口にある看板を使って説明を受けました。とにかく,中にはいるのが楽しみで,わくわくしました。とくに,まばゆいばかりの財宝が発見された墓です。入り口に立つと,期待がふくらみ,古代への入り口のような気さえしました。
 他の墓の多くが盗掘者によって荒らされていたのに対し,ここは,ほとんど墓泥棒に荒らされておらず,当時の副葬品の豪華さをそのまま伝えています。1922年にH.カータが発見する前に何度か開けられた形跡があったそうですが,不思議なことに再封印されていて,墓の中の財宝はそのまま手つかずの状態で残っていたそうです。財宝の数々は現在カイロの考古学博物館に収められていて,ここには美しい金棺に入ったミイラと石棺のみ残されています。
 入り口からまっすぐ下りの通路を進むと前室があります。そこを右に曲がると玄室です。石棺がそのままの状態であり,中には金棺に入ったミイラがあると思うとどきどきしました。黄金のマスクをはじめ墓に入っていた数々の財宝を考古学博物館で見るのがとても楽しみになりました。 

【ラムセス9世の墓】

墓の入り口の看板:ラムセス9世の墓ということと,発見された順番(6番目)がかかれています。 古王国時代,壮大なピラミッドに収められた膨大な副葬品は,墓泥棒達の格好の餌食でした。ことごとく盗まれてしまったのです。このため後世の王達はテーベ西岸のひっそりとした谷あいに,岩窟墳墓を造営するようになったと言われています。
 王墓は,みな岩の奥に掘り込まれていて,一般的には通路,落とし穴,前室,宝物室,儀式用の小部屋,玄室,礼拝堂から構成されています。もっとも墓泥棒の手は,こんなところまで容赦なく伸びてきており,ほとんどの墓が荒らされているのが実態です。
 王家の谷では,ラムセス3世の墓をまず,見学しました。ラムセスと名乗るファラオは多く,一見親子関係かと思いますが,そうでもないようです。日本でも藤原姓を貴族達が名乗ったように,位の高い名前とでもいったものでしょうか。
 この王家の谷にある墓はどれもすばらしく,レリーフの細工の細かさや彩色の見事さ,保存状態の良さに驚きました。今から3000年以上前のものとはとても思えません。このラムセス9世の墓もとてもきれいなレリーフが残されていました。墓の作りは次のラムセス6世のものによく似ていました。階段を少し下り入り口から両側に彩色壁画の施された通路を通りまっすぐ進みました。ガイドのアハメッドさんの説明を聞きながら奥へ進みます。一つ一つの壁画には意味があり,描かれた絵が一つ一つ話になっています。とくに死後の世界を描いているものが多く,ヒエログリフとともに,とても興味深く見学することができました。
 突き当たりの玄室にある彩色壁画の図柄は再生を意味するものだそうで,太陽と蛇が描かれていて,ガイドのアハメッドさんの解説に聞き入ってしまいました。エジプトで太陽がどんな意味を持つのか,また,人々が太陽をどのように思っていたかが少しわかったような気がします。この日の朝見た太陽が思い出されませした。
 墓の入り口からずっと続く壁画やレリーフには,象形文字でいろいろな説明が施されていて,ロゼッタストーンの発見後に解読されたヒエログリフは現在では,完全に読みこなすことができるそうです。3000年前のこれらの記録から,当時のファラオ達がどのようなことをしてきたかや,どのような歴史上の出来事があったかなどを読みとることができると同時に,当時の世俗や人々の願いまで読みとれるそうです。ラムセス3世の時代には,世界初と言われるストライキがあったことなどもわかるそうです。
 私はエジプトの旅行の持ち物として,懐中電灯を持っていきました。ピラミッドや王墓の中を見学するときあった方がいいと聞いていたからです。私が持っていった懐中電灯は,自転車用のライトで,小型な割りには強力な光を放つものです。ハロゲン球のおかげで,この王家の谷の観光では重宝しました。ガイドの持っていたペンライトでは,なかなか差しているところが見えにくかったので,ガイドに私の懐中電灯を貸しました。なかなか調子が良く説明もよくわかりました。また,次ぎに入ったラムセス6世の墓では,外国のツアーガイドが接触してきて,私の懐中電灯を譲ってくれないかと言ってきました。本気で欲しかったみたいでけっこうしつこく言い寄ってきましたが私も自転車で使う予定があったので,譲ることはしませんでした。譲っていたらいくらぐらいで売れたのでしょうか…。彼が持っていたのも暗いペンライトでした。日本からペンライトの強力なものでも持っていくと,案外受けるかも知れません。商売もできたりして…。

【ラムセス6世の墓】

ラムセス6世の墓の看板。11番目に発見されたということも書いてある。鮮やかな色彩の残されたレリーフの数々。ほんとうにきれいでした。彩色壁画の前で妻を撮影。ISO100でシャッター速度は20分の1。手持ちの限界を超え,どうしてもブレてしまいます。
 王家の谷でも特に保存状態が良く,多くの観光客が入るのがこの墓です。壁画や天井画の彩色が美しく残っています。当然フラッシュ撮影は禁止されているので,カメラやフィルムを考えて持っていかなければなりませんが,よい機材をそろえていけば,美しさをしっかりと撮ることは可能だと思います。私たちと同じツアーの人は,墓の内部で謝ってフラッシュを焚いてしまい,係員とかなりもめたそうです。本気でけんかのようになり,カメラを取られそうになったそうですが,日本語でまくし立て強引にカメラを奪還してきたそうです。フラッシュには気をつけましょう。とくにフルオートのカメラだと電源を入れると前の設定がリセットされフラッシュがオートになっていることが多いようです。こまめに発光禁止にしないとトラブルの元なので注意したいです。
 この墓は,大変混雑していて,人の間を縫うようにして中を見学しました。さすがに外国人はでかく,背も高ければ幅や厚みもあり,普通に歩いていたらとうていかないません。日本人のメリットを生かし隙間を縫うように人と人の間を抜け,見学しました。 

【アラバスター製品の製造販売店】

 朝早くにホテルを出て正解でした。日が昇ってからはじわじわと気温が上がり,王家の谷の観光が終わる頃には気温がかなり高くなってきました。
 ハトシェプスト女王の葬祭殿に向かう途中,8:45〜9:10まで製造直売といった感じのアラバスター屋さんに寄りました。アラバスター(雪花石膏・せっかせっこう)はモース硬度2の基準石で,彫刻用素材として利用が多い鉱石です。アラバスターという名前のもエジプトの地名が語源になっているそうです。
 店の前でアラバスターの原石を削りながら加工するおじさん達は
暑くないのでしょうか。明らかに40度台後半と思われる気温の中,せっせと仕事をしていました。また,使っている道具もごく簡単な物で,こんな道具でどんなものができるのだろうかとちょっと楽しみに思いながら店内に入りました。店内には,小さなアクセサリーからランプシェード,大きな壺まで色やデザイン価格まで様々でした。いずれも非常に細工の丁寧なものばかりで,工芸品としてとてもきれいでしたが,私はあまり趣味ではないので買いませんでしたが,買っている人もけっこういました。

【ハトシェプスト女王葬祭殿:デル・エル・バハリ】

 エジプト初の女王ハトシェプストは、夫のトトメス2世の死後、まだ幼かったトトメス3世の摂政でしたが、若い王の後見人として力を持つようになり、そしてついにファラオとなりました。さらに、自らの血統の正当性を揺るぎないものにするために建築したのが、この葬祭殿だそうです。
 彼女は通商に力を注ぎ、香料を求めてプント(現在のソマリア)と貿易していたそうです。そのことが、葬祭殿の壁画よりわかります。
 ここについたのは、まだ午前9時を少し過ぎたころ。なのに、気温がぐんぐん上がり、遮るもののない砂漠の中でじりじり肌が焦げ、体の水分がどんどん逃げていくのがよくわかりました。さすがに暑く(熱く)体力がどんどん奪われていきました。
 王家の谷にある山の中腹、切り立った断崖を背にして立つ葬祭殿は、紀元前1490年ごろに建てられたもので、オシリス神の立像や、ハトホル女神のレリーフや礼拝堂、階段手すりに描かれたライオンのレリーフなど、女王の強大な権力欲を象徴する葬祭殿となっています。 
 また、19世紀後半、この葬祭殿の崖下から40体に及ぶ王や王妃のミイラが発見され大騒ぎになりました。そこは墓泥棒達が盗品の隠し場所としていた場所であり、泥棒同士の仲間割れがもとで、考古局に通報され、その際偶然見つかったそうです。セティ1世、トトメス3世、ラムセス2世など、歴史上に名を残す王のミイラも発見されています。現在それらのミイラはカイロの考古学博物館のミイラ室に展示されています。
 そして、ここは、1997年秋にテロ事件があり、邦人が銃殺されたところでもあります。警備が厳しく、今ではそういうことはないそうですが、私たちがルクソールを発った次の日に、車の爆破事件があったそうです。やっぱり怖い気もしますが、エジプト人はとても陽気でいい人達ばかりのような感じを受けたことを付け足しておきます。

【ネフェルタリ王妃の墓】

 王家の谷の南西約1500mのところに王妃の谷と呼ばれる一帯があります。王家の谷と比べ保存状態が悪く、公開されている墳墓も限られていますが、ここにはお目当ての場所がありました。
 今回の旅行の中で破格とも言える見学料を払って行ったのが、王妃の谷で最大規模を誇り、その保存状態のすばらしさは最高であるといわれるネフェルタリの墓です。ここの見学料は他の墳墓とは一桁が違います。でも、それだけ、いやそれ以上の価値が十分にあります。絶対に見学して欲しいところです。超おすすめです。1日100人のみ入場可能で、予約が必要なので、見学をしたい場合は事前に予約しておかないと見ることができませんのでご注意ください。 彼女の墓は、王墓と同じぐらい複雑で手の込んだ作りになっていて、当時の彼女の権勢が偲ばれます。
 入り口には、見学は10分間だけという看板があり、正確に10分で出されてしまいます。細い間口を通り抜け、奥にはいると、美しい彩色壁画の残る玄室になります。小さいながらも大変保存状態が良く、見事な壁画が並びます。ほんとうに驚く程美しく、何千年も前に描かれていたとは到底考えられません。
 後ろ髪を引かれる思いで、墓を後にしました。
 ネフェルタリはラムセス2世の王妃で、数ある妃や側室の中でも、生涯にわたってもっとも愛され、もっとも尊敬された女性といわれています。また、エジプト王室で1,2を争う美女だったといわれていて、そのネフェルタリの若き姿に合うことができます。残念ながらここはお金を払っても写真を撮ることができず、カメラを預けなければなりませんでした。ちなみに、この墓がこんなに保存状態がいいのは、ガイドの話によると、発見されてからまだ100年程しかたっていないことと、発見したイタリア人があまりに美しいため、そのまま封印したため、風化や劣化が進まなかったということが理由だそうです。しかし、あまりに美しいこの墓をそのままにしておくのはもったいないということで、エジプト政府は、1日100人限定で、それもわずか10分間という短い時間だけ公開するということにしたそうです。見ることができてとってもラッキーでした。

【ルクソールのダウンタウン・スーク(市場)へ】

トカゲが皮をはがれて売られていたり、おもしろいものがいっぱいありました。 この日のツアーはネフェルタリの墓を最後に終了。11時20分に前日宿泊したシェラトンホテルに一度帰り、13時に昼食会場のメルキューレホテルに移動しました。
 食事は普通の料理。17時35分発の予定の飛行機のフライト時刻が変更になり、食後3時間程自由時間ができました。予定では、食後すぐに空港に向かうはずでしたが、ラッキーなことにルクソールの街に繰り出すことができることになりました。多くの人はこの日の朝が早かったことと、日中の暑さで休憩することを選んだようですが、私と妻と向こうで知り合いになった通称ファラオことE氏と3人でダウンタウンに繰り出しました。
 始めにミイラ博物館に向かったのですが、残念ながら午後の休み時間でちょうど見学することができませんでした。そこでそのまま、スーク(市場)に向かって歩いてみました。カイロの騒々しさとは異なり、人の数がそれほど多くなくとてもいい感じでした。馬車の呼び込みが盛んに声を掛けてきましたが、歩いていくっていうポーズを取りにこっとすると、それ以上言ってくることありません。昼間だったせいかもしれませんが、治安の悪さや物騒さは一切ありませんでした。さらに、物価の安いことといったら驚きです。飲み物やいろんな雑貨もカイロよりも安く、おみやげを買うならおすすめかも知れません。
 なんだかわからないうちに、綿のひざかけとか、いろんなものをいつの間にか買っていました。また、パピルスのしおり(実際はバナナの葉だと思われる)をまとめ買いすると言うことで、エジプト人の兄ちゃんと交渉しました。とっても楽しく交渉が進み、結局得をしたんだか損をしたんだか…。のちのちカイロの街や空港で見ると、案外安く買ったのかも知れません。でも、実際のところは、もっともっとあってないような値段なんでしょうけど…。まあ、十分楽しめたので満足です。
 現地の人と触れあい、買い物をしたり、話をしたり、飲み物を飲みながら楽しいひとときを過ごすことができました。

【一路カイロへ】

エジプトをたつ前に撮影したホテルの外観の一部 あまりの暑さのため、3時間の自由時間を1時間残し、ホテルに戻りました。水分を補給し、両替をし、出発を待ちました。ルクソールの街をあとにし、空港に着いたのは18時ごろ。カイロ行きの飛行機が飛び立ったのが19時45分です。
 ルクソールを飛び立ってからおよそ45分でカイロに着きました。気温29度。とても涼しく感じました。カイロ空港からホテルまでは、パトカーの先導と、ツーリストポリスがバスに同乗してとなりました。やはり夜の街は危険なようです。
 ホテルに着いたのが22時15分です。この日の宿泊は、マリオットホテルです。かつて宮殿だったこのホテルは、全1250室と超大型。庭園も美しく、レストラン、パブ、カジノ等々どれも美しく豪華です。贅の限りを尽くしたホテルでした。夕食は23時。さすがにお腹も空き、眠気もある中の夕食でした。ツアーでご一緒させて頂いた方の誕生日ということもあって、ちょっとしたパーティとなりました。
 この日部屋に戻ったのは深夜0時20分頃です。速攻寝ました。