8/15 ダハシュール・カイロ市内観光


【ダハシュールのピラミッド】

 ダハシュールには,二つのピラミッドがあります。これらはスネフル王のものとされていて,ピラミッドの成り立ちを考証するする上で考古学上,貴重な物です。スネフル王はクフ王の父に当たる人物で,メイドゥームをはじめ全部で4つのピラミッドを造ったと考えられています。一人のファラオがなぜこんなにたくさんのピラミッドを造ったのかは未だに謎だそうです。
 遺跡周辺のエリアは一面の軍事施設(軍事基地)です。休憩できるような施設もなければ土産物屋や売店などもいっさいありません。従ってピラミッドまでバスで直接行き,横付けすることになります。屈折ピラミッド周辺もそうですが,特に赤のピラミッドは観光のコースにもあまり入らないためか,非常に空いていました。貸し切りに近い状態でした。ゆっくり観光ができ,遺跡も見応え十分なので,できれば訪れたいものです。

 《赤のピラミッド》

 赤のピラミッドは,屈折ピラミッドよりも後に作られた緩やかな傾斜の真正ピラミッドです。赤っぽい石が使われているため,この名で呼ばれています。断面が二等辺三角形の真正ピラミッドとしては最古の物として有名で,形の整ったきれいなものでした。角度は屈折ピラミッドの上部と同じで,後に作られた巨大ピラミッドと比べると比較的なだらかです。屈折ピラミッドの経験を生かして,より安定性を重視したとも言われているそうです。
 ピラミッドの下から全体を写真に収めようとファインダーをのぞきました。ここで改めて思いました。広角のレンズが欲しいと。デジタル一眼用のコストパフォーマンスのよい広角ズームが出ないかなぁなんて思いました。35mm換算で20mmとは言わないので21か24mm相当のものを5万円ぐらいで買えればすぐに買っちゃいます。でもきっと高いんでしょうね。お金を貯めたいと思いました。

 《屈折ピラミッド》

 ダハシュールにあるピラミッドのうち,南にあるのが屈折ピラミッドです。高さが105mのまんなか(下から50mぐらい)のところで角度が変わっているのでそう呼ばれています。下部の傾斜は52度,上部は43度と傾斜がゆくるなっています。この理由には諸説ありmメイドゥームのピラミッドが崩れて失敗したためとか,王の死が近いので工事を急いだからなどと言われています。
 屈折ピラミッドのすぐ下でおじさんが近寄ってきました。「これはこのピラミッドの表面の石だ」と。これを内緒でやるからチップをというわけです。もちろん文化財保護の立場からこっそりいただいて持ち帰るということはしませんでしたが,現地の人がこのようなことをするのには賛成できません。また,クフ王のピラミッドでも,本体立ち入り禁止の本当の入り口にも警備の人にチップを渡せば連れて行ってもらえるそうです。なんだかなぁって感じです。
 

【絨毯屋】

 カイロ市内の観光の前に、カイロ郊外の絨毯学校というところに寄りました。小学生ぐらいの年齢の子から10代後半ぐらいの子が、黙々と絨毯を織っていました。作ったものも商品として貴重な現金収入にしつつ、ここで技術を身につけるためにここで学んでいるそうです。専門学校のようなものでしょうか。
 絨毯を織っている場所の2階が、絨毯売り場になっていて、安いものから高いものまで、多種多様なサイズや柄のものが売られていました。
 日本人の何人かが、商談をしているのを待っていて退屈でしたが、柄やデザインなどを見ているだけでも楽しいものです。
 だいたい1時間ぐらいここにいたでしょうか。同行したツアー客の何人かは購入していたようです。
 だんだん気温が高くなってきたことが肌と唇のかわきでわかるようになってきました。40度は余裕で超えています。 

【カイロ市内観光】 

 次に向かったのは、カイロ市内です。カイロは言わずと知れたエジプトの首都です。人口が1200万人といわれますのでにぎやかな街であることは想像に難くありません。ナイル川に運ばれた肥沃な土でできたデルタがカイロの街です。この肥沃な土地を争い、かつて何千年前から権力争奪のドラマが展開してきた地でもあります。王朝の時代、古代帝国、アラブ支配の時代、十字軍の時代を経て、オスマン朝、フランスやイギリスによる支配等々、街は「歴史のかんづめ」とも言えます。
 カイロの街は、オールドカイロと現在のイスラム地区と大きく2つの見所があります。まず向かったのは、現在のカイロ中心部です。考古学博物館に行きました。

 《考古学博物館》

 入念なボディチェックを受け、金属探知器のゲートをくぐって、さあ行くぞと思いきや…。なんとケースに入れたあったデジカメのカード(コンパクトフラッシュ)が手荷物検査で引っかかりました。なんだこれはというのです。不幸にもガイドが近くにおらず、自分だけ。片言の英語で、これはデジタルカメラ用の記録メディアだと説明しましたが、なかなかわかってもらえず苦労しました。実際にカメラに入っているカードを出してみて、これと同じだろ、予備のものだって言ったら、やっとわかってもらえました。何か別のものと勘違いしたのでしょうか。とにかく怪しまれたのが不快でしたが、わかったあとはフレンドリーでした。それだけ厳しいチェックをしていると思うと、不審な者は中にはいないという安心感ももてたりして…。
 とにかく、入り口でもたつき、グループから離れそうになりましたが、なんとか合流。早速館内に入りました。
館内はかなり混みあっています。
 一通り、ガイドの説明を聞いて、概要がわかった後、自由時間になりました。1時間しかないということで少し物足りない気もしましたが、目当てのいくつかを優先にまわることにしました。
 とにかく5000年分がこの中に詰まっていると思うと、それだけでワクワクします。驚きと感動の連続でした。部屋数はなんと100以上。どちらかというと、雑然としている感じがしますが、その一つ一つが非常に価値のあるものばかり。収蔵品に対して博物館が狭すぎる感じがしました。
 6000以上にのぼる展示品は、価値ある収蔵品ばかりで、特にここで有名はツタンカーメンの秘宝は息をのむほど神秘できでした。
 考古学博物館の収蔵品を写真で紹介していきます。
ロゼッタストーン:ヒエログリフの解明に役立ったと言われる有名なロゼッタストーンの模造品です。
(本物は大英博物館に収蔵されています。)
ナルメル王のパレット:神話上の王の祖先であるタカが湿地帯に捕虜をもたらすという下エジプト征服の象徴的な描写。丈夫には2つの聖牛ハトホルの頭の間に宮殿を表す長方形があり、中に王の名前がヒエログリフで記されてます。
書記像:書記は公務員であり、一般の人々より高い地位にあって、もっとも高貴な職業と考えられていたそうです。
 この書記はパピルスの巻物を手にしています。サッカラから発掘されたものです。
カフラー王の座像:王の頭の後ろにはタカの頭をしたホルス神がとまっています。王の玉座には、上下エジプトの統合の象徴として、パピルスと蓮を組み合わせた図案が刻まれています。 王子ラーヘテプとその妻ネフェルトの像:メイデュームのマスタバ墓から発見されたもので、石灰岩でできています。
村長の像:エジプトでは珍しい木製の像。イチジクの木でできているそうです。村長の像という名で知られていますが、実際は神官であり高級官吏であった人物を表したものだそうです。石英の眼が、銅でできたまぶたにはめ込まれています。 クフ王の像:あの大きなピラミッドを造った人物ということで、期待していましたが、残っている像はこれだけで、とても小さく、片手の中に納まる程の大きさしかありません。ちょっと拍子抜けしました。 小人のセネブとその家族:古代エジプトでは小人は使用人となることが多かったそうですが、このように高い位につき、王に近いところで働いたり神官を兼ねたりする者もあったそうです。

アヌビス厨子

カノピス厨子(内蔵入れ)
アラバスター製のカノピス容器は、凝った彫刻が施され、王の内蔵を保存するのに用いられたそうです。 ツタンカーメンの黄金の玉座 カノピス厨子を収めた大きな黄金の厨子
ツタンカーメンの等身大鍍金木像 チーターの形をした葬儀用寝台 ツタンカーメンのベッド(もちろん副葬品)
言わずと知れたツタンカーメンの黄金のマスク:ツタンカーメンの肖像をかたどった黄金のマスクは、王のミイラを覆っていたものです。王権の象徴である蛇と禿鷹の紋章のついた頭巾は、ラピスラズリ色の鉛ガラスを流し込んだ黄金製で、眼の部分にも象眼が施されたり、胸飾りには、ラピスラズリ、長石、石英などが見事に施されています。
 とにかく美しく、鈍く輝く黄金のマスクは、紀元前1300年以上前からあるとは思えない保存状態のよさです。このマスクをかぶったツタンカーメンのミイラは現在もルクソールの王墓に眠っています。
ミイラが収められていた内側の棺 外側の棺には、(左の写真の)内側の棺が収められ、厨子に入って王墓に眠っていました。
館内の様子 ピラミッドのキャップストーン 正面から撮影してもらいました。

 《モハマッドアリモスク》

 食事は一応中華ということでしたが、…。
 食後向かったのが、イスラム地区です。目標はムハンマドアリモスク。読み方によっていろいろな発音がありますが、要するにエジプトの近代化の基礎を築いたムハンマドアリの名前の付いたモスクです。カイロのシンボルの一つで、世界遺産にも指定されています。
 この一帯はシタデルと呼ばれ、城壁や塔、モスクや牢獄、軍事博物館など、見所の多いところです。その中でも一番の見所がモハメッドアリモスクです。モスクの前からの眺めはとてもよく、カイロ中が一望できました。遠くにピラミッドも見えました。
 このモスクは、イスタンブールにあるモスクを模して作られたもので、巨大なドームと高いミナレット(尖塔)を持っています。他のエジプトのモスクにはない特徴です。
 イスタンブールでいくつかモスクを見ていたためか、それほどの驚きはありませんでしたが、それにしても内部の荘厳さと、内装の豪華さは目を見張るものがあります。大きなシャンデリアやたくさんのランプ、それを取り巻くステンドグラスが織りなす光のハーモニー。大変美しいモスクです。
 中庭に設置されている大時計は、ルクソール神殿のオベリスクをフランスに贈ったお返しとしてフランス政府からもらったそうですが、カイロのほこりっぽい聞こうに耐えられるわけもなく、すでに動かないそうです。エジプトが贈ったオベリスクは、パリのコンコルド広場に今でも立っているのですが…。   

 《ハンハリーリ市場》 

 観光コースになっているせいか、期待していたようなバザールではありませんでしたが、一応に雰囲気のあるお店が並びます。とにかく14世紀末には市ができ、19世紀初めには12の大バザールが一つになったと入れています。大半が土産物屋です。
 迷路のようなバザールには、道の両側に土産物屋がぎっしり並び、金銀銅などの金属細工、食器、宝石、革細工、アラバスター製品、ガラスの香水入れなど、いろんなお店がありました。相場は以前と比べて観光客プライスがあるためか、あまり安くはないのですが、それでも交渉の楽しさが味わえます。
 エジプトの商人と知恵比べっていうのもいいかもしれません。
 ここのカフェで、水たばこに初挑戦。水で有害成分が濾過されるので、比較的体への外は少ないとか…。

【ナイル川ディナークルーズ】


 この日の夜はエジプト最後の夜です。最後の思い出に、ナイル川のディナークルーズに参加しました。夜8時からのショーということで、少しお腹が空きましたが、久しぶりに正装し、出かけるもいいものです。
 バイキング形式の夕食で、ショーを見ながらナイル川をゆっくりクルージングしました。ベリーダンスや、トルコのメブラーナ舞踏団を元にしたタヌーラというショーがなかなか見応えありました。

 この1週間で、ずいぶんいろいろなものを見ましたが、ショーを見ながらなんだかとても懐かしく、また、名残惜しく感じました。日本に戻れば、また現実が…。