8/13 ルクソール東岸


【アスワンの砂・アスワンからルクソールへ】

《アスワンの砂》

ナイル川に浮かぶ島全体がホテルとなっている「イシスアイランドホテル」砂スポット ホテルを出発したのは朝の7時30分。ホテルの船でナイル川の中州から東岸までわたります。
 バスに乗り換え,まず向かったのは,市街から空港へ向かう道の途中にある
砂スポット。つまり砂採りスポットです。アスワンのさらさしたやや黄色味がかった砂を採りました。ホテルからちょうど30分,進行方向右側にちょうどよい砂を採る場所があります。もちろん辺り一面乾燥地帯なので,どこでも砂だらけなのですが,ちょうどバスを停車させ,道路からすぐのところに,ほんとうにちょうどよい場所があるのです。私たちも皆に負けじと砂の壁を上り,砂漠の砂を袋いっぱい採りました。
スカラベ(フンコロガシ)の足あとがわかるでしょうか? 砂を採っただけでなく,そこで,おもしろいものを見つけました。それは,
フンコロガシの足あとです。ガイドの説明でわかったのですが,砂漠の斜面に規則的にならぶもようがそうだというのです。フンコロガシはスカラベと呼ばれ,古代エジプトの様々なレリーフや彫刻にも描かれていて,昔からとても大事にされてきた昆虫です。街の土産物屋さんにも石でできたスカラベがいっぱい並んでいます。
 空港にはそこから10分弱で到着しました。空港周辺にはエジプトの軍の戦闘機なども駐機されていて,砂漠の中に上空から見えないように格納庫の入り口が口を開けていました。ひとたび何か始まれば,ここから飛び立っていくのでしょう。

 《ルクソールへ》

 9時12分,MS134便(A300-600R)はきれいなアスワン空港に別れを告げ飛び立ちました。アスワンからルクソールへは,空路約40分という予定でしたが,実際は,9時40分には着陸し,10時にはルクソールの空港を出発することができました。飛行機で,予定よりも早く到着するのは珍しいような気がしました。
 空港に到着すると,温度計があり,気温は34度。まだまだといった感じです。しかしこの後,信じられないような暑さになることは,まだこのとき,考えてもいませんでした。
 エジプトでは,古王国が衰退すると,再び統一国家のないまま何世紀かが過ぎます。そして,紀元前2040年,メンチュヘテプ2世がエジプトを再統一します。そのとき首都になったのがテーベ(現在のルクソール)です。首都となったのは,中王国時代第12王朝ですが,全盛期は新王国時代の第18王朝〜20王朝の時代(ツタンカーメン王やラムセス王の時代)です。
 中王国時代までは,ピラミッドコンプレックスのように墓と葬祭殿,河岸神殿が一体となっていたものが,新王国時代には,王家の谷のような岩窟神殿とハトシェプスト女王葬祭殿に代表される神殿に分かれ,その例を見ないほどの巨大建築が,この時代の遺跡となって残っているのです。中王国〜新王国,末期王朝の一部まで,ファラオ達の祈りと権力欲が交錯する
アメン信仰の聖地として栄えた都市で,エジプトの遺跡のうち,半分近くを占めるものがテーベ(ルクソール)にはのこっています。 

 《カルナック神殿》

 ルクソール東岸観光で最大の観光地と言えば,カルナック神殿です。空港を出発して,20分足らずでカルナック神殿に到着しましたが,バスを降りると,外の暑いこと暑いこと。たまらず日陰を探そうにも日陰などありません。神殿内は列柱や壁などがつくるわずかな陰を求めることとなります。この日の気温は昼過ぎで48度。たまりません。
 カルナック神殿の観光は,たっぷり1時間半ありました。ガイドのアハメッドさんの話を聞くのも,日陰を求めながらとなります。カイロ大学を卒業したという彼の話は,大変おもしろく,エジプトの歴史から,伝説,それぞれの場所での詳しい説明など,大変興味深く聞くことができました。
 カルナックの遺跡は,アメン(アモン)神を祀る大神殿を中心とした巨大神殿群で,アメン(アモン)信仰の一大モニュメントです。ルクソールは,古代,テーベと呼ばれていました。この地方では古くからアメン神が信仰されていました。もともと小部落でしかなかったテーベ地方の信仰対象にすぎなかったアメン(アモン)神も,紀元前2040年頃にメンチュヘテプ2世がエジプトを統一してテーベが首都になると,一挙に国家神に祭り上げられました。新王国時代(紀元前1552年ごろ〜紀元前1071年頃)には,古王国時代からの王の守護神だった太陽神ラー(レー)と習合し,アメン・レー神となります。エジプト全体ではレー神が宗教の基盤になっていたため,この神と合併することで,最高神アメンの立場は強化されたことになります。
 古王国時代,神と王はほとんど同一化されていました。しかし,アメン信仰のころになると,王は神に庇護される者という考え方に移ってきました。それだけに権力増大を願う王族の信仰は厚く,各地で大規模な神殿建築が行われました。中でも,テーベに建造されたもっとも大がかりなものが,このカルナックのアメン大神殿です。神殿,オベリスク,神像など,数多くの巨大建造物が今でも当時の信仰の深さや封建社会の様子を感じさせています。
 カルナックのアメン大神殿でけでも,幅105m,奥行き352mもあります。さらに周りの神殿も合わせると,カルナックの神殿群は東西500m,南北1500mという広大さになります。この大規模な神殿群は,中王国時代(紀元前2040年頃〜紀元前1790年頃)以降1500〜2000年の歳月の間に増改築を繰り返した結果生まれたもので,規模もさることながら時間のスケールもさすがです。
 カルナック神殿(アメン大神殿)で特にその大きさに圧倒されるのが大列柱です。圧巻です。ほかにも巨大なラムセス2世像や,見上げると首が痛くなる巨大なオベリスク,レリーフなど,見応え十分です。エジプト旅行で特に感じたのですが,カメラのレンズは広角のものが必須です。かなり離れてもなかなか全体が収まらないのです。ぜひ最低28mm,あれば24mmぐらいの広角レンズがあると良いと思います。
セティ2世の神殿羊のスフィンクスと第1塔門 カルナック神殿の参道には,両脇に牡羊の頭を持つスフィンクスが並んでいます。牡羊はもともとアメン神の聖獣だそうです。そのスフィンクスを両脇に見ながらまず私たちを迎えたのが巨大な第1塔門です。現存するエジプト最大の塔門で,紀元前378年頃の末期王朝時代に建てられたといわれています。塔門から中にはいると,アメン神,ムート神,コンス神に捧げられたセティ2世の神殿が左手に,ラムセス3世の神殿が右手にあります。その奥の第2塔門の手前に巨大なラムセス2世像が立っています。
 そして,第2塔門をくぐるとそこに
巨大な大列柱室がありました。134本あるという列柱室は,ラムセス2世の造営とされていますが,中央にある特に巨大な12本の柱は,アメンヘテプ3世によるものといわれています。各柱のレリーフもすばらしいのですが,柱の上の方に残っている当時のままの彩色がとても見事でした。ナイル川の氾濫や長い年月のために,色が残っているのは一部だけでしたが,それにしても日中50度にもなる日差しの中で,何千年もの間,これほどまでに色が残っているというのは驚きました。列柱室はかつて石の天井で覆われていて,柱の高さの差を利用した明かり取りが作られていたといわれます。また,この列柱室の周りの壁面には,神々とともに生きる王族や民の姿が浮き彫りにされていました。それらの周壁のレリーフの中には,史実を証明するかのように,セティ1世のパレスティナ遠征の図や,ラムセス2世のカディシュの戦いの図などがあり,有名です。
 第3塔門を抜けたところには,トトメス1世のオベリスクが天高く屹立しています。エジプトを旅行していると何度か見かけるオベリスクですが,レー神(太陽神)がその先端から生まれて宇宙創造を行ったという言い伝えのある”ベンベン石”が原型だそうです。1枚岩からできていて,塔門の前に対で建立されることが多いようです。
 トトメス1世のオベリスクの左奥には,ハトシェプスト女王の見事なオベリスクも見えてきます。その南側にあった対のオベリスクは,現在は立っておらず,聖なる池の近くに横たわっています。西側から写真を撮影すると,立っている2本のオベリスクと,横たわっているオベリスクがすべて入り,いい写真になります。
 エジプトの土産物屋に入ると,甲虫を象ったオブジェがたくさん売っています。一見カナブンかなにかのようですが,実はこれ,スカラベというフンコロガシなのです。遺跡のあちこちにあるレリーフの中のカルトゥーシュの中にもたびたび現れてきます。パピルスの中にも古代エジプト文字とともに描かれています。
聖なる池スカラベを象ったカルトゥーシュ(上の図柄は太陽を表す)大スカラベ 大昔のエジプトの人たちにとって、スカラベは大事な虫で,スカラベの形をしたお守りを身につけたり,神の化身として崇めたりしてきました。スカラベがフンの玉を転がす姿を見て,太陽が動く姿に見えたからとか、フンから突然大人のスカラベが出てくるのを見てスカラベ生き返ったと思ったから、などといわれています。太陽を崇拝するエジプトの人たちにとって,再生を意味する太陽と重ね合わせたのでしょう。
 カルナック神殿のもっとも奥の南のはずれにある聖なる池(長さ120m,奥行き77mの広さで,船の禊ぎ(みそぎ)や清めなどの儀式を行う場だったといわれています)のほとりには,巨大スカラベがあります。アメンヘテプ3世のものだそうです。先にも述べましたが,スカラベは創造の神ケプリ神の現身とされ,古来から印章や護符としてその形が使われ,エジプトのシンボル的存在です。とても大事にされていたことがよくわかります。
 ここの大スカラベには言い伝えがあります。大スカラベのまわりを3回まわり,1周ごとに,台座にある太陽のレリーフに触れると必ず幸運が訪れるという伝説です。各国からの観光客がぐるぐる回る姿が1日中見られます。

 《カルナック神殿の音と光のショーはこちら》

 《鳩料理》

赤丸のところにあるのがハトです。 地中海料理と中近東料理の要素を併せ持つエジプト料理ですが,イスラム教の関係から,肉というと豚はまったく流通していません。肉調理はもっぱら羊と牛,鶏肉です。ほかにもハト,スズメ,ウズラ,ウサギ,ラクダなどなんでも食べちゃうようです。また,北に地中海,東に紅海,国の中央をナイル川が縦貫するエジプトでは,多種多様な魚が流通しています。エビやロブスターアサリといったものにいたるまで,豊富な魚介類が手に入ります。主食のパンはアエーシと呼ばれる円形のものがほとんどで,町のあちこちで売られています。前菜やスープも様々な野菜とともに豊富な種類があります。バイキングでの食事が多かったため,いろいろなものに挑戦してみました。
  その中でもエジプトの名物料理といえば?
鳩(ハト)料理です。ということで,ハト料理に挑戦してみました。出てきたハトは,思いの外小さく,小骨が多く感じました。味はさっぱりとした鶏肉といったところでしょうか。はじめ普通に食べていましたが,味が物足りなく,持参した醤油をかけて食べたところ,とてもおいしくいただけました。

 《ルクソール神殿》

 食後に向かったのが,ルクソール神殿です。カルナックのアメン大神殿から約3キロ離れたルクソール神殿は,アメン神と,その子コンス神の私邸とされています。面積約5haのこの神殿は,カルナック神殿(アメン大神殿)の付属神殿として建てられたもので,かつて,カルナック神殿とは,スフィンクスが両脇に並ぶ3kmにもなる参道によって結ばれていました。現在スフィンクスの参道は,一部を除いて地中に埋もれているため,ルクソール神殿の手前にある100mほどしか見ることができません。チケット売り場の左側にある参道がそれです。
 アメン神は年に1度,ナイル川の増水期にルクソール神殿を訪ねて妻子と過ごしますが,その祭り”オペト祭”という豊穣を祈るテーベ最大の祭事が11日間にわたって催されていたといいます。祭りには,多くの神官たちがアメン神の御輿をアメン大神殿からスフィンクスの参道を通ってルクソール神殿まで運びます。その行列は,大変華麗で,周囲にはたくさんの踊り子や楽士たちによる歌舞音曲であふれ,にぎやかそのものだったといいます。こうした華やかな祭りの様子は,ルクソール神殿のアメンヘテプ3世の列柱廊に残されたレリーフなどに見ることができます。オペト祭の起源はよくわかっていないそうですが,新王朝時代の初期にあたる紀元前1500年ごろに始められたのではないかと推測されています。

 神殿はチケット売り場の右側にあり,まず目に入ってくるのが第1塔門の手前の
オベリスクです。普通2本で1対となるのですが,ここには1本しかありません。もう1本は,なんとパリのコンコルド広場にあるのです。高さ25mのオベリスクは大変立派で,大きさもさることながらレリーフもきれいに残されています。1830年,当時のエジプト君主であるムハンマド・アリが右側のオベリスクをフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまったのです。そのお礼にと,フランス側からは大時計がくられ,現在カイロのムハンマド・アリ・モスクに飾られています。エジプト国内の神殿にたくさん建てられたオベリスクですが,実は国内に現存するものは意外に少ないようです。多くは,エジプトを支配していた国々によって持ち出されてしまったのです。とくにローマにはいまも13基のオベリスクがあるそうです。
 第1塔門の前にはラムセス2世の1対の座像と2対の立像があります。第1塔門はこのラムセス2世によって建造されもので,ヒッタイト人との熾烈な交戦”カディシュの戦い”の場面が描かれています。ラムセス2世はいたるところにこの戦いの場面を描かせていますが,すでに私たちもアブシンベルで見たので,記憶にはっきりと残っていました。
 第2塔門から先は,アメンヘテプ3世が造営したといわれています。塔門をくぐると大列柱廊が広がります。そして,有名な第18王朝でも特に有名な
ツタンカーメン王の座像がこの列柱廊の左にあります。ツタンカーメンはアメンヘテプ3世の子供といわれています。ツタンカーメンは,国家神をアテン神に変えたアクナテンの後を継ぎ,わずか9歳で即位します。しかし後見人の大臣アイは,アメン信仰に戻そうと画策し,もともとツタンカーテン(ツト・アンク・アテン)という名前をツタンカーメン(ツト・アンク・アメン→現世に生きるアメン神の意)と改名し,戴冠式もカルナックのアメン大神殿で行っています。成長した王は,自らもアメン信仰最高に力を注ぎ,メンフィス(カイロの南)に遷都してアメン信仰復活宣言をしています。
 現在見られるルクソール神殿の遺跡は,そのすべてがアメン神とファラオ関係だけで彩られているというわけではありません。列柱廊の奥にある中庭から,32本の列柱室に進むと,その奥にはなぜかキリスト教の聖人の壁画や至聖所まであります。コプト教の礼拝所として使用されていたこともあるそうです。また,中庭には,13世紀に建てられたモスクもあります。このモスクは,ルクソール神殿の上に立てられたような形で,当時砂に埋もれたルクソール神殿の上部を基礎にその上にモスクを建てたということのようです。また,一番奥には,「アレキサンダー大王の間」とい呼ばれる箇所があります。アメンヘテプ3世の間を
アレキサンダー大王が再建したことによる命名だそうで,アレキサンダー大王のカルトゥーシュもしっかりと残っていました。このあたりのレリーフは陰刻ではなく,陽刻で,大変見事でした。
13世紀に建てられたアブ・アル・ハッジャー(モスク)パピルスを表すという柱


 《ルクソール市内の土産物屋で》

ヒエログリフで「ネフェル・タリ」と彫られています。 ルクソール神殿から,この日宿泊するホテル「シェラトンルクソール」に向かう途中のバスの中で,ガイドのアハメッドさんがカルトゥーシュの刺繍を入れたTシャツの注文を取り始めました。午前中,ルクソール空港からカルナック神殿に向かうバスの中で説明があったので,どういったものなのかはよくわかっていましたが,値段も手頃だったのと,エジプト土産っぽかったので,せっかくなので,自分たちの分と同僚へのおみやげ用に,数枚注文しました。早ければその日のうちに,遅くても翌日の朝までにできあがるということなので,とても楽しみに待ちました。ただ,後々自分の名前を恨むことになりますが…。というのも,私の名前をヒエログリフで書くとなんだかショボイのです。同僚の名前は,鳥が描かれていたりエジプトの特徴的な模様がいっぱい含まれているのに,私の名前は幾何学模様ばかりで何となく象形文字という感じがしないのです。ちょっと残念でしたが,話のネタとしてはまあまあです。
ジュエリーショップの店員さんと一緒に バスはホテルに着くちょっと前のところでジュエリーショップに寄りました。あまり興味はなかったのですが,向学のためと思い,下車。気温は相変わらず高く,土産物屋の前では48度でした。エジプトでは,あちこちに宝飾屋があり,金製品を中心にいろいろなものが売られています。店に入ったときは,ほとんど関心はゼロだったのですが,エジプトの絵文字(ヒエログリフ)の入ったカルトゥーシュのペンダントヘッドを見ていると,しだいに魅せられていってしまいました。15分後には,クレジットカードを出し,サインをしていました。エジプトのファラオの魔力でしょうか。結婚4.5周年の記念に妻へのプレゼントです。表には妻の名前,裏にはネフェルタリの名前が彫金されています。エジプト土産としてもなかなかしゃれているかなぁと思います。ちょっと高い買い物でしたが,普段旅行に行ってもほとんど買い物をしないので,たまにはいいかなぁと思って買っちゃいました。トルコで買った絨毯のついで高い海外での買い物でした。

 日本に帰ってきて,妻が出かけるときに胸元にこれが輝いているたびにエジプト旅行を思い出します。今となっては,よいおみやげだったと思います。
ホテルからの眺め(シェラトン・ルクソール) ホテルに到着したのは14時45分。昼間の直射日光で,体力をかなり消耗していたため,すこし部屋で休憩することにしました。部屋はというと,ナイル川に面した角部屋で,かなり条件の良い部屋でした,テレビの大きさもほかのホテルのものと比べ格段に大きいし,部屋の外のベランダが部屋の南側から西側にぐるっと回り込んでいました。そしてそこにはビーチパラソルと簡単な折りたたみ可能なリクライニングベッドのようなものが2つ置かれていました。日差しが強くなければナイル川を見ながらのんびり外でくつろごうかとも思いましたが,さすがに暑くてそんな気も起きませんでした。(右の写真にマウスを合わせると写真が変わります。)
 夕食が18時半ということなので仮眠することにしました。余裕で寝ていたら添乗員から電話がかかってきました。「夕食のお時間になりましたがどういたしますか?」と。あわてて部屋を後にし,夕食会場のレストランに向かいました。

 《音と光のショー:カルナック神殿》 

 夕食が終わった後,カルナック神殿の音と光のショーに出かけました。この日は,火曜日だったので夜8時からのショーは,日本語でした。ここでのショーが日本語ということがわかっていたため,ギザでピラミッドの音と光のショーに行くのをやめました。英語ならまだしも,ロシア語では全然わからないと思ったからです。今回は私たちのツアーでバスを貸し切ることができ,送迎付きで1人30ドルでした。ショーだけならば個人で行けば1000円弱なので,送迎にタクシーを利用したとしても往復2000円はしません。ちょっと割高でしたが,個人で手配するのは面倒なので,ツアーのオプショナルツアーに参加しました。面倒くさがり屋でない方は,個人で行った方がいいかも知れません。
 音と光のショーは,8時からなので,集合はホテルのロビーに7時35分でした。バスで15分ほどでカルナック神殿に到着しました。昼間に行ったときと比べ雰囲気がだいぶ異なります。真っ暗闇にぼんやりとスフィンクスと塔門が浮かび上がっていました。また,日中の太陽が石を暖め,その熱が夜になって足下から上がってくるため,かなり暑かったです。しばらくすると第1塔門がライトアップされ,予告もなくショーが始まります。
 ショーでは,入り口付近から,ナレーターの説明に合わせて順に中に進んでいきます。入り口付近,第2塔門前,第列柱室,第7塔門前,そして聖なる池へと案内されていきます。音もかなり奥行きがあり,ステレオでなかなかの迫力でした。最後の聖なる池に設置された席から見える星空と,その下のカルナック神殿のオレンジ色にライトアップされた様子が,とても印象的でした。昼間とは違ってとても幻想的な雰囲気の中,日本語による説明もわかりやすく,参加して良かったと思いました。説明はお話仕立てで,アモン(アメン)信仰についてや,歴代ファラオの変遷や,神官のことなどなど,とても勉強になりました。(最後ちょっとだれるとことがないわけでもありませんが)カルナック神殿を鮮やかに浮き上がらせるライトアップとともにテーベの都の歴史を楽しむことができ,聖なる池の前の観覧席で,雄大なエジプトの大地ときれいな星空を感じながら,ぼーっとショーを見ているのもまたいいものです。機会があったら,ぜひ参加したいショーです。おすすめです。
 ホテルに帰るバスの中で象形文字入りのTシャツと先ほど注文したカルトゥーシュのペンダントヘッドができあがったということで手元に届きました。私のTシャツの象形文字がショボイことをのぞいて,大満足な一日でした。翌日はルクソール西岸観光ということで,かなり体力を消耗しそうなので,この日は早めに寝ました。