8:00 のんびり起床
8:30 朝食
10:00 出発
10:20〜11:50 国立人類学考古学歴史学博物館
12:00〜セントロ地区の観光
・サンマルティン広場
・カテドラル
・アルマス広場
・中央郵便局
・大統領官邸
・サンフランシスコ教会・修道院
13:05〜 サン・クリストバルの丘
13:45〜 昼食「めちゃおいしいレストランにて」
15:00〜 ミラフローレス地区の観光
・セントラル公園
・恋人たちの公園
・ラルコ・マール
・天野博物館
・黄金博物館
21:00 夕食
この日は、リマ市内の一日観光を手配してありました。通常のツアーだと半日観光が多いようですが、余裕を持って、一日観光を頼んでおきました。そのため、時間にも余裕があり、また、二人でガイドと運転手を貸しきりなので、自分たちが行きたいところに行ってくれるため気楽でした。
前日の夜、この日の出発時刻を決めるとき、前日の出来事の疲れからゆっくりしたいということを告げたところ、10時発になりました。久しぶりに朝寝坊をすることができました。
ミラフローレス地区でのショッピングにはあまり興味がなく、できれば、この国の文化や歴史に触れたいという希望から、博物館を中心に回りました。日本であらかじめ予約しておいた天野博物館と、黄金博物館にプラスして、国立人類学考古学歴史学博物館にも行きたいとお願いしました。それに加えて、リマ市内が一望できるというサン・クリストバルの丘も付け加えてもらいました。もちろん、定番のセントロ観光とミラフローレス観光もお願いしました。
予定も、私たちの思い通り、希望通りにかなえてくれるし、時間もとても自由で、とても楽しい一日になりました。
リマの市内観光のガイドは、ペンションカンツータの経営者の息子であるだいきさんでした。ペンションのオーナーの早内さんの息子でペルー生まれ、地元の大学を卒業した方です。ペルーの歴史や文化に大変くわしく、観光中もくわしくわかりやすい説明をしてくださりてても有意義な一日となりました。ガイドにとても恵まれ、非常に価値のある観光になりました。
だいきさんは、フジテレビ系で放送されている番組「あいのり」がペルーに来たとき、ペルーからエクアドルまでガイドをしたそうです。その話もしてもらいました。私も日本で番組を見ていたので、日本を出るちょっと前にちょうどペルーのマチュピチュやナスカを舞台に番組が収録され放送されるのを見てきたことや、エクアドルで赤道をまたぐ場面を見たことなどをだいきさんに話しました。南米では、日本人のガイドが少なく、とても重宝されたそうです。ちなみに「あいのり」は、一切「やらせ」はなく、本当に地でやっているそうです。
現在の国立博物館(ミラフローレス地区にある)ができる前は、ここが国立博物館だったというだけあり、ペルーを代表する最大規模も博物館です。規模、収集量はペルー最大で、入り口より各時代ごとに区分され、説明も図解入りで親切にされていました。私たちは、日本語ガイド付きなので、すべて日本語で、わかりやすく丁寧に説明してもらいました。せっかくこういう博物館に来たのだから、やはりただ見るのではなく、しっかり理解しながら見ることができるのは大変充実していました。
プレ・インカ時代の展示品が多く、ナスカ、パチャカマ、パラカスなど、大変くわしく説明されていました。パラカスで出土した織物や、ミイラに巻いてあった装束などは、2000年もの眠りから覚めたとは思えないほど鮮やかな色彩と、緻密な織り方や模様、染色など、大変見事でした。
また、ナスカ文化の部屋には、何体もの髪の毛の残るミイラが展示されていて、ガラス板1枚隔てて置かれているのは、衝撃的でした。
ミイラは、いずれも屈葬のような形で埋葬されており、パラカスのものは、布を何重にもぐるぐる巻きにし、ダルマのようにして瓶に入れたそうです。展示されていたのは、その布をはいだものでした。また、ナスカのミイラは、頭を抱え苦しんでいるような表情をしたミイラが何体もあり、衝撃的でした。
そして、テレビで見たり本で読んだりして知ってはいたものの、実物を見るのは初めてだったものが、脳外科手術のあとと、キープです。インカの人たちは、高度な医療技術を持っていて、頭蓋骨に穴を開け、手術をしていたというのです。半信半疑でしたが、右の写真を見て、それが本当であることが分かりました。手術をして空いた穴の縁から、骨が再生され、徐々にふさがりつつある頭蓋骨が展示されていたからです。これは、手術後、その人が生き続けたということです。やはり優れた医療技術があったのです。でも、だいきさんの話を聞くと、脳の手術と言うよりも、戦争の際に頭をけがした兵士の治療を行う際に、頭蓋骨を削り、その治療を行ったのだということだそうです。それにしても、すごいなぁと思いました。
また、文字をもたたないインカの人たちがつかったというキープ(縄の結び目が文字の代わり)も本物を初めて見ました。これもとてもうれしかったです。
ここでは、ペルーの歴史、文化などを詳しく知ることができました。また、インカがどのようにペルーの様々な文化をまとめていったかなどを知りました。そして、ここで事前に学習をしていったため、このあとに行った天野博物館や雑然とした黄金博物館の展示物の意味や時代背景などもよく分かりました。
ペルーでいろいろな場所を訪ねる前にリマ観光をするチャンスがあるならば、ぜひここを先に訪れてから他に行くことをお勧めします。
セントロ地区に入ると、車の窓を閉め、ドアロックをするように言われました。リマ市内は治安があまりよくないようです。セントロ地区は、リマの旧市街でほぼ碁盤の目状に道路が走っています。この碁盤の目状の街を「ピサロのチェス盤」というそうです。コロニアル時代からの街並みは、見応えのある建築物が多く、タイムスリップをしたかのような通りも多くありました。スペイン支配の時代、植民地の富(インカ帝国の黄金)や、教会勢力の強大さが想像されます。この街の建物を見ているとスペイン本土での贅を尽くした気の遠くなるような豪勢な宮廷生活が送られていたことも想像できます。それを支えてインカの黄金もそれにしてもすごいものです。
セントロには、アルマス広場を中心にピサロが建てたカテドラルや、そのまわりには植民地時代に建てられた政庁や市庁舎などがあります。これらの古い街並みは、ユネスコの文化遺産に指定されています。
●サンマルティン広場
まず、車窓よりサン・マルティン広場を見学しました。偶然にもこの日はペルーの生んだ聖者としてペルー人なら誰でも知っているサン・マルティンの命日だったそうで、広場では厳戒態勢のもとセレモニーが行われていました。そのため、警官があちこちにいて、治安のふだんよりよいとのことでした。
サン・マルティンは、植民地時代初期に活躍した修道士で、インディヘナや黒人奴隷に対する保護の手が差し伸べられることに対して活躍した人だそうです。
●アルマス広場とカテドラル
サン・マルティン広場からアルマス広場までは、コロニアルな建物に挟まれた道が続きます。様々なショップやレストランになっていますが、治安はあまりよくないそうです。
1535年、都をクスコからリマへ移すと決めたピサロは、スペインのイベリア様式にのっとり、アルマス広場を中心に町を築いていきました。現在もアルマス広場は旧市街の中心地で、広場を囲むように古い建物が残り、それを広場の片隅からピサロの像が見つめています。北側には大統領府があり、この日は偶然にもデモが行われていたため、厳重な警備が行われていて、一触即発の雰囲気でした。私たちがアルマス広場を歩いていると、観光警察がやってきて、スリに会わないように注意してくださいとひとこと言って笑顔で去っていきました。
カテドラルは、ペルーで最も古いカテドラルで、1535年1月18日、リマ建都の日にピサロが自ら礎石を置いたと言われています。1541年暗殺されたピサロのものとされるミイラがカテドラルの中のガラスケースに安置されているということですが、中には入りませんでした。
●大統領官邸
アルマス広場の北にある大統領官邸は、大変立派な建物で、その重厚さは群を抜いていました。見事な装飾と、彫刻のすばらしさは、その背景にある植民地時代のインカ帝国の黄金の富を感じました。
数年前まではここにフジモリさんがいたのですが、今はトレドさんです。
厳重な警備がしかれ、衛兵がぴくりとも動かずに立っていました。運がよければその交代式を見ることができるそうですが、この日は見ることができませんでした。
アルマス広場では、結構熱いデモが行われていて、テレビの生中継もされていました。公務員の何とかを何とかせい!といったないようのデモだそうですが、珍しいものに遭遇したものです。
その日の夜のニュースで放送されていたそうですが、見ることはできませんでした。
●中央郵便局と郵便局通り(アーケード)
ピサロの像のまわりは、人でごった返していて、パンを売っている少年や、飲み物を売っているおばちゃんなど、ちょうど昼時だった製もあるかも知れませんが、けっこう繁盛していました。また、ピサロの像のすぐ横には行列ができていたので、行列の先頭を目で探していくとそこは銀行でした。ここはリマの旧市街の中心地なのです。銀行のすぐ西側の建物は中央郵便局で、入り口を入るとちょっとした博物館のような展示コーナーがありました。
郵便局を抜けると、そこにはアーケードがあり、パラソルを開いたカフェや、ちょっとした土産物屋などが軒を並べていました。日本人は全くいませんでした。
市場の脇を抜けるとちょっとした公園になっていて、校外学習中と思われる制服を着た小学生が引率の先生と休憩していました。線路と平行してリマック川が流れ、その先には、旧市街の中でもスラム化したと思われる住宅街が見えました。また、闘牛場の先には遠くサン・クリストバルの丘を見ることができました。
●サン・フランシスコ教会・修道院
バロックとアンダルシア風の建築様式を採り入れ1567年から7年かけて建てられたのがサン・フランシスコ教会の装飾は大変見応えがありました。メインの教会のほか、チャペル、カタコンベ(地下墓地)、修道院、、宗教芸術博物館からなり、過去3回の地震でかなりダメージを受けたにもかかわらず、建立当時のままのものが多いということでした。大型の観光バスがたくさん停まっていて、観光すぽっとしても有名なようでした。鳩がむちゃくちゃたくさんいて、糞も相当なものでした。
地下墓地カタコンベは必見で、地下3階までのうち地下1階までが一般公開されていて、そのフロアだけでも2万5000体の骨があるそうです。
セントロ地区から車で10分ほど走ると、リマ市内を一望できるサン・クリストバルの丘に着きました。麓から丘の頂上付近までスラム街が広がっていて、道路はある程度整備され舗装されたとはいえ、いまだに非常に治安が悪いところだそうです。旅行者が徒歩で頂上に向かったとすれば、まず頂上に着くまでにパンツ一枚になるであろうと言う話でした。丘への坂の途中には、キリストの受難を象徴するという小さな14のセメント製の十字架がたっているという事でしたが、12しか確認できませんでした。
リマの街は、7月〜8月は毎日はっきりしない曇天の日が続きます。これは、ガルーアと呼ばれる霧がこの時期街をすっぽりと覆ってしまうからだそうです。大雨に降られることはまずないそうですが、サン・クリストバルの丘からの眺望もいまいちでした。天気がよかったら、きっと素晴らしい眺望なんだろうなと思える場所でした。
頂上は、駐車場と、大きな十字架、カフェ、博物館などがあり、昼間だったせいか空いていました。夜になると十字架がイルミネーションに輝き、大変きれいだそうです。
ここはかつてスペインの要塞で、1536年の戦いで勝利した際にピサロによって頂上に十字架とチャペルが建てられたそうです。その後の地震(1928)でチャペルは崩壊しましたが、後に再建され、十字架も掛け替えられたそうです。そして、1997年5月2日、チャペル跡に博物館が完成し、フジモリ大統領自ら開館式に出席し、リマ市の観光名所になったそうです。頂上の十字架は高さ20m、幅7mもあり、写真に収めるのが精一杯でした。
この日の昼食は、今回のペルー旅行中に食べたペルー料理の中で、最高のものでした。「おいしい!」と自信を持っておすすめできるレストランでした。ガイドのだいきさんが、お昼は期待しててくださいと言うだけあって、めちゃくちゃおいしかったです。このレストランは、ペルーのグルメ番組や、グルメ雑誌などでも採り上げられたレストランだそうで、雰囲気も含め、とても素晴らしいレストランでした。
ペルーの代表的な料理のセビッチェは、新鮮な白身魚やイカ、タコなどと紫タマネギ、香辛料、レモン汁などをあえてつけたもので、さっぱりとした味わいが日本人の下にもぴったり合うと言われています。これは欠かすことができないと思って注文してもらいましたが、そのセビッチェの種類だけでもすごくたくさんありました。ヒラメのセビッチェと、イカやエビ、タコのセビッチェなど、数種類を注文しました。
特に、ヒラメの薄造りのセビッチェソースがけが最高の味でした。食材を贅沢に使い、さっぱりとした酸味とレモンの風味がとてもおいしく食欲をそそりました。
他のセビッチェもどれもおいしく、それだけで笑顔がこぼれてしまいます。イカやタコ、エビなどのセビッチェは、とても食べやすく、日本人好みの味だと思います。
次に絶品のスープ。エビやホタテ貝などが豊富に入ったスープです。この味を文章で伝えるのは本当に難しいのですが、とにかく絶妙な味でした。わざわざ遠くから足を運んでこのスープを飲みに来る人がいるというのも納得です。こくとだし、うまみが最高でした。
何時間も煮込み、うまみが凝縮されたような味わいでした。このスープは一人前がずいぶんと多いので、2人で1人前注文し、2つに分けてもらいました。だいきさんの話だと、他のメニューも1人前が多いので日本人には多いということでした。
スープはお店によってその味が違い、それぞれこだわりを持っているそうです。このお店以外の味もできれば経験してみたいと思いましたが、十分においしいので今回(次回があるのか!?)はここが最後のペルー料理専門店となりました。
そして、カニの身を炒めたものが運ばれてきました。スプーン山盛り何杯もカニの身を口にほおばり、その味をかみしめました。とにかくおいしいので、ガイドのだいきさんに名前を紙に書いてもらいました。「CANGREJO
REVENTADO」(カングレホ レベンタード)と言うそうです。オススメです。
さらにシーフードのチャーハンのようなものも出てきました。これも味が日本人好みで、とてもおいしい味でした。魚介類のだしが利いていて、食が進みました。また、鶏のからあげにセビッチェソースをかけたようなものもとてもおいしく、すごい量があったのですが、ついつい箸が進み食べてしまいました。次々に運ばれてくる料理を片っ端からたいらげ、腹一杯になりました。ビールを数本注文し、さらに食後のお茶も含めて、大満足の昼食でした。
4人でいくらぐらいかなぁなんて思い、だいきさんに聞いてみましたが、日本の感覚からすると相当の安さでした。日本円で1万でお釣りがちょっと来る程度でした。(ペルー人の所得水準からすると、この店に来ることが出来る人はほんの一握りです。店の駐車場にも、ベンツやBMWといった高級車が並び、ミラフローレスの高級住宅街でしか見ることができないような車が停まっていました。)
ひとつ、付け足しておくと、このお店の料理の1皿は結構ボリュームがあるので、同じものを2つ3つ頼むより何種類も頼んだ方がいいと思います。また、私たちはスープを4人で2人前注文し、4つに分けてもらいましたが、それでも十分の量でした。追加注文ができるし、注文後すぐに運ばれてくるので
、様子を見ながら注文していくのがいいかと思います。
ちなみに日本でこのレストランがそのままオープンしても十分客が入り、大繁盛すると確信できるようなお店でした。魚介類や野菜などの食材が豊富なペルーは、どことなく日本とよく似ているかも知れません。ただ、物価の違いがあるので、そう簡単には行かないと思いますが・・・。
リマの街は、セントロ(旧市街)と、ミラフローレス地区(新市街)の2つの地区にわかれています。ミラフローレス地区は海岸沿いの高級住宅地の中にある繁華街で、セントロの喧噪とはうって変わって、人通りは多くてもずっと落ち着いた街です。セントロとはだいぶ違い、おしゃれはカフェやブティック、レストラン、デパートなどが軒を並べるおしゃれな雰囲気でした。かつて、リマの中心だった旧市街ですが、近年の治安の悪さなどからオフィスが集まる中心地はこの新市街に移ってきているそうです。
ミラフローレスの中心は、セントラル公園とケネディ公園です。公園に面して教会と市役所が建っていて、公園の端の噴水のある広場から放射状に5つの大通りが伸びています。いずれも緑地帯に花の植えられた美しい通りばかりで、ブティック、レストラン、デパート、カフェが軒を並べていました。非常におしゃれな雰囲気で、治安もよく、セントロとのギャップに驚きました。日本でもおなじみのマクドナルド、バーガーキング、ケンタッキー、ダンキンドーナツをはじめ、高級アパレル産業の名前のついた看板も多く掛かっていました。
私たちは、どちらか言うとそういった新しい街並みを歩くよりも、古い街並みを歩いたり、その国の歴史や文化に触れる方が好きなので、ここは車窓から見学するだけにしました。リマにもセントロ地区だけでなく、こういった新しい顔もあるということを知っただけでよしとしましいた。
ミラフローレスにあって、ガイドブックにも載っていて定番なので、海岸通にあるこの公園は車から降りて歩いてみることにしまいした。恋人たちの公園と言うだけあって、公園内には若い恋人が多くいました。公園の中央には恋人が抱き合ってキスをしているモニュメントが置かれています。また、海を臨む公園内は緑が多く、フラワーポットに花が植えられていたり、植木がきれいに刈り込まれていたり、洗練された雰囲気でした。ここで見える海は太平洋。日本にもつながっている海です。
海岸線に沿って、きれいな景色が続き、夏には海水浴客でが押し寄せるそうです。また、岬の突端にレストランがありました。最高にロケーションはよいのでしょうが、値段も相当高いそうです。
ここは、ミラフローレスの海岸沿いに新しくできた、レストラン、ショップなのが集まるアミューズメントスポットです。ハードロックカフェや映画館、オープンカフェなどもあります。よく晴れた日だったら太平洋が一望できる最高のロケーションだと思います。ここのトイレは人感センサーがついており、自動洗浄でした。日本のそれと違いごっつい仕掛けでいかにもだったので、興味深く、用を足しながら観察してしまいました。