8/16 チチカカ湖・ウロス島観光&搭乗危機一髪


チチカカ湖上に浮かぶ葦でできた浮島:ウロス島8:00 ホテル発【プーノの宿泊先:ケルカタニ】
8:20 プーノの港を出港
8:58 ウロス島到着・ウロス島観光
10:35 ウロス島発
11:07 プーノの港に到着
11:33 プーノ(ホテル)発
12:18 フリアカ着
12:20〜13:05 昼食(フリアカ市内のレストラン)
13:20 フリアカ空港着→トラブルに巻き込まれる
14:50 フリアカ空港発
15:15 アレキパ空港着
16:20 アレキパ空港発
17:50 リマ空港着
18:25 リマ空港発
19:00 ペンション着【リマの宿泊先:ペンションカンツータ】
20:00 夕食

★ウロス島

 この日のメインは何と言ってもウロス島観光。小学生のころ、テレビで見て、地球上には、こんなところで生活をしている民族があるのかと驚いたときから、一度行ってみたいところのひとつになっていました。富士山の標高よりも高いところに位置する「チチカカ湖」ということでさえ理解しがたかったのですが、そのチチカカ湖に浮かんでいるウロス島という島があり、そこに人々が生活しているというではありませんか。ペルーに旅行するのだったらぜひコースに入れたいところです。島と言ってもただの島ではありません。トトラと呼ばれるアシを積み重ねて作られる浮島なのです。刈り取った葦をそのまま積み重ねてあるだけで島ができあがるのです。古くなって腐ってきたらその上にまた新しく刈り取った葦を積み重ねるそうです。トトラは浮島の材料になるだけでなく、バルサと呼ばれる葦船や、家の材料、家畜のえさ、畑や火種にまでなります。島に住む人々とは切っても切れない関係にあるのです。

★モーターボートでウロス島へ

 私たちが、今回の旅行でこだわったことの一つが、チチカカ湖での日本語ガイド付きツアーでした。他の旅行社はなかなか日本語ツアーがなく、英語による混載船に乗るというものでした。とくに貸し切りで日本語ガイド付きというのは手配できない旅行社ばかりでしたが、風の旅行社はそれを引き受けてくれたので、ツアー会社を風の旅行社に決めたという経緯もあります。2人だけでボートを貸し切り、船長とガイドと現地コーディネーターの5人でウロス島に向かいました。軽いせいか、船長の腕がよいのか、プーノの桟橋から40分はかかると言われるウロス島までの道のりを、30分弱で行ってしまいた。その分、ウロス島の観光も長くとれたので、よかったです。
 早朝の湖面の風は涼しく、防寒が必要です。でもとても美しい景色に、寒さを忘れデッキに登って風を受けました。とても気持ちがよかったです。ウロス島に向かう途中、やはり浮島ですが、牛が放し飼いされていました。なんだか不思議な光景でした。
 ウロス島に近づくと、上の写真にあるように、(意外と小さい島だなぁ)と感じました。水深は5メートルといったところでしょうか。島が流されないように杭(くい)が打てる程度の深さです。ボートは上の写真の島に上陸しました。

★ウロス島の上で

 ウロス島に上陸すると、ふかふかした感触と島がゆっくりと波打って動いている様子がとても不思議に思われました。非常にゆっくりとした周期で島が波打っているのです。また、島の端の方で片足立ちをすると、しばらくすると水がしみ出してきます。水にただ浮いているだけなのがよく分かりました。
 おばちゃんたちが、「オニイサン、カッテキマセンカ?」と、上手な日本語で民芸品を売ろうと声をかけてきます。でもしつこい様子はなく、素朴な感じがとてもいい雰囲気でした。おばちゃんたちは、バルサ(トトラで作られた葦船)のミニチュアや、刺繍のタペストリー、陶器、インカの首飾りなど、いろんな民芸品を売っていました。特にその場で編んでいた刺繍のタペストリーに興味を持った私は、値段を聞いてみました。大きさや材質などによって様々ですが、横80cm、縦60cm程度のアルパカの毛糸のものを13ドルで買ってきました。安かったのか高かったのか、分かりませんが、まぁ、自分が納得してかったのだからよしとしました。
 島を散策すると、あちこちに木の杭(くい)が打ってありました。これは、島が流れて移動してしまうのを防ぐためだそうです。
 また、いくつか太陽電池のパネルがありました。フジモリ大統領の時代、ウロス島にも電気がつき、文明の波がこの島にも押し寄せてきたということでしょう。うれしいのか悲しいのか・・・。 観光客からすると複雑でした。
 人々が住んでいる家もすべてトトラでできていました。結構丈夫にできていて、人が寝泊まりするには十分の広さです。
 島のある一角には刈り取ったばかりのトトラが積んであり、葦船の材料になるのか、家の材料になるのか、それとも島の地面となるのか不明です。
 ちょうど煮炊きをしているところに遭遇しました。小さな陶器製の鍋で魚を煮ていました。かまどのようなところではスープのようなものが湯気を上げていました。
 また、すぐ隣では、おばあさんが豆を石でつぶして粉にしていました。写真を撮らせてもらったらチップをせがまれました。チップはパンです。(後述)

★チップ

 ウロス島に向かう前、ガイドに教えられ、プーノの街でパンを買いました。パンは自分たちが食べるのではなく、ウロス島の人たちにチップとして渡すためです。お金ではなくそれもパン?というのは私にははじめ「???」でしたが、島に行って分かりました。島の人々は、観光客に売る民芸品が今では収入源のひとつですが、彼らの文化や伝統を我々観光客がこわしてはいけないのです。簡単にお金をばらまいたり、彼らの伝統的な生活(魚や水鳥を捕って生活するような生活)をこわすようなことをしたりしてはならないのです。また、島には病院も歯医者もありません。チョコレートやガム、お菓子などを決して子供達にあげてはならないのです。歯医者もなければ、プーノの歯医者に行くお金もないのです。絶対にいけないことなんだなぁと思いました。
 島でおばちゃんにパンを上げたら、あちこちから子供達が近寄ってきました。チップ(パン)をくれというのです。30個ぐらいあったパンもアッという間になくなってしまいました。

★バルサ(葦船)に乗る

 はじめに上陸した島から、次の島に移るのに、モーターボートを使うのをやめ、バルサ(トトラで作られた葦の船)に乗ることにしました。ひとり5ドルと結構高いような気もしましたが、ガイドが交渉してくれ、島から島へ渡るだけでなく、湖を少し(20分ほど)遊覧できることになりました。
 船を操るのは20歳前後のお姉さんでした。民族衣装を着て、お姉さんは上手に船を操ります。「ろ」をこぎながら、棒で向きを変えていきます。バルサは思いのほか安定感があり、静かな湖面を滑るように進みました。
 プーノの桟橋の近くと違い、このあたりの水はとても澄んでいて、きれいでした。水の深さはそんなになく、数メートルぐらいだと思います。アッという間に島から離れ、水鳥の声と船が水を切る音しか聞こえなくなりました。
 途中、トトラの自生するところを横切りました。ガイドのホアンさんがお姉さんにトトラを1本ひっこ抜くように頼みみました。そしておもむろに皮をむくと、白っぽい茎がでてきました。そして、かじって見ろと言うのです。ものは試し、がぶっとかみついてみました。するとほんのり甘い味がするのです。家畜のえさにもなると聞いて納得でした。
 ウロス島の人々の生活を守る葦は、辺り一面群生していて、無限にあるように感じました。その葦の合間をゆっくりと進む葦船に乗っていると、のんびりとした時間の中をゆったりとしたリズムで暮らしてきたウル族の人々の何百年という歴史の積み重ねを感じました。
 そうこう言っているあいだに大きな島が見えてきました。今度の島には、教会や学校もありました。上手に島の船着き場に船がつけられ、そこで記念にお姉さんと写真を撮りました。
 チチカカ湖に浮かぶ浮島は、何カ所かに集まっており、私たちが訪ねた島々は、数百メートル離れた距離に7つ,8つの島がありました。
 遙か彼方、肉眼で何とか見ることができるような距離にまた、別の島々の集まりがありましたが、そこには観光客は行かないそうです。 

★大きな島

 二つ目に上陸した島は、はじめに上陸した島と比べると大きな島でした。島の周囲は簡単に計算するとおよそ200mぐらいだと思います。人の数も多く、数十人が外に出ていました。島には、学校や併設された教会もあり、展望台に登ると島の全体が分かりました。
 次第に天候もよくなり、暖かくなってきましたが、風は冷たく上着を脱ぐことはできませんでした。
 学校は島の中で唯一トタン張りの建物でした。本来ウィークデーなので子供達は学校で勉強をしているのですが、この日は担任の先生が風邪を引いたため休校になったそうです。ラッキーなことに学校の中に入り見学をすることができました。校舎内(といってもワンルームなのですが)には、大きな机が2つと小さないすがいくつかあり、アルファベットやかけ算九九の表などが壁に掲示されていて、天井からは図工の時間に作ったと思われる飾りがつるされていました。さらにおもしろいことに、日本語を学習しているようで、壁に「あいうえお・・・」と50音(ときどき疑わしい文字もありました)が掲示してあり、日本の小学生が描いた絵(絵日記)が掲示されていました。
 島では、勉強をする子供たちの姿が見られました。右の写真を見ると分かると思いますが、強い日差しを遮るように、日陰を選び中学生ぐらいと思われる子供2人が鉛筆を持って問題を解いていました。(写真を撮るときに日陰の子供達に露出を合わせたので、他の日差しが強いところが白飛びしてしまいました。)
 小さな子供の世話をしながら民芸品を売るおばちゃんやその子供達と写真を撮らせてもらえるように交渉をしました。好意的にOKを出してくれました。また、子供達は恥ずかしがりながらも無邪気に笑顔を見せてくれました。 
 お土産物屋で興味を持ったのは、チェスセットです。作りは別にたいしたことはないのですが、チェスの駒がおもしろかったので買ってしまいました。インカ軍と、スペイン軍が敵味方に分かれて対決するようになっているのです。

★帰りの船

 後ろ髪を引かれる思いで、ウロス島をあとにしました。船長が船を回してきてくれてあったので、すぐに乗船でき、プーノの桟橋に向かいました。ウロス島を出て10分もすると、日本人も乗っている混載船がプーノに向かって進んでいるところに追いつきました。そして、かなりのスピード差でその船を追い越しました。そのボートは、アッという間に点になりました。やはり乗員数が少ないので、スピードも違います。プーノの桟橋に着く頃には、まだまだ、はるか後ろ、遠くにやっと見えるぐらいでした。私たち2人とガイドとコーディネーターと船長の5人しか乗っていない船は速く、貸し切りのチャーター船だと思うと優越感を感じました。(でも、それだけ高いお金を払っているのだから、それぐらいじゃなくちゃもとが採れませんが。)
 帰りは30分ちょっとでした。船長(キャプテン)と握手をして別れました。

★フリアカ空港での出来事 〜搭乗危機一髪〜

 ホテルに荷物を取りに行き、そのままくるまでフリアカに向かいました。フリアカに着くとすぐ、街のレストランで食事をとりました。しかし、そこでハプニングが起きたのです。ガイドのホアンさんが空港に電話をかけている表情が急に険しくなってきたのです。電話を切ると、眉間にしわを寄せてストレートに「飛行機が飛ばないかも知れない。」と言いました。一瞬耳を疑いました。でも、本当のようです。
 ここペルーでは電車が遅れたり、飛行機がキャンセル(欠航)になることは珍しくないようですが、今回、まさか自分たちがそうなりそうになるとは思いもしませんでした。事情がよく分からないので、とりあえず空港に行こうということになりました。
 空港に着くと、すぐにその場の雰囲気から、状況が見えてきました。チェックインカウンターに詰めかける旅行者や、ガイドやコーディネーターの雰囲気が険悪で、怒鳴り声やいらいらする順番待ちの人達などなど。相当まずい状況にはまったことが分かりました。空港のロビーには、何時間も待っているような人たちや、後に分かったのですが、前日、欠航になり、この日もう一度出直した人などもいました。もし、ここで飛行機に乗れなければ、1時間かけてプーノに逆戻りし、翌日出直すか、6時間かけてクスコに戻り、翌朝の始発便でリマに飛ぶかしかないのです。
 それよりもなによりも、フリアカ空港に飛行機が飛んでこなければフリアカから飛び立てないのです。普通に行ったら、前日からの順番待ちの人や、当日の午前から待っている人たちが優先されるので、私たちは絶対に乗ることは不可能だなと思いました。また、リマ発の翌日出国の航空券を持っている人が優先されるというのも、私たちには当てはまりませんので、だめかなとあきらめ半分でした。
 しばらくすると、JTBのツアーの一行がやってきましたが、添乗員の若い女性があたふたとしていて、困っていました。ツアー客からもいろいろ言われ、空港の職員も相手にしてくれず、とても気の毒でした。
 空港で、ガイドのホアンさんも、「無理かも知れない。」と言い出し、仕方がないなとあきらめつつあったのですが、偶然にもホアンさんのガイド仲間の女性(風の旅行社の関係者)が力(政治力というかコネというか)を持っているようなので、その女性が頼みの綱でした。
 長い時間が過ぎました。待つこと1時間あまり。マジックで新しい便名が上書きされた私たちの航空券渡しながら、「着いてって!」と言うのです。見ると、搭乗口で搭乗手続きが始まっているではありませんか。フリアカ発の臨時便(この日の最終)が飛ぶというのです。一緒にいた風の旅行社のツアー客や、別のツアーに参加したひとり旅の日本人女性と私たちは、何とかどさくさで最終便に滑り込むことができたのです。しかし、チケットの便名と違う「予定にない便名」で、リマに直行する予定がアレキパで降ろされてしまうという不安な便でした。席も自由席で、座席や飛行機も壊れそうな不安なものでした。
 とりあえず、みんなタラップに向かって歩いていき、一番後を歩いていた私がみんなの荷物のクレームタグを人数分握らされガイドとはそこでさよならでした。「アレキパで乗り換えて!」と最後に言われただけでとりあえず飛行機に乗り込みました。非常に不安を抱えたテイクオフでしたが、とりあえずアレキパまで行ければ何とかなると自分に言い聞かせました。でもよくよくガイドブックを見ると、アレキパから飛行機が飛ばなければ、バスでリマまで17時間ということが分かりました。アレキパでもまた、一波乱あるかなと思いましたが、妙に強気になっていました。一緒にその便に乗り込んだ日本人とも妙な一体感が生まれ、お互い「だいじょうぶだよ」と言い聞かせ合いました。
 クスコをはじめ、フリアカなどでは、有視界飛行が原則なので、午後の便はほとんど飛ばないそうです。とてもラッキーだったのかも知れません。
 ちなみに、JTBのツアーの客と先ほどの添乗員は、乗っていませんでした。プーノでもう一泊か、クスコに戻ったかは知りませんが気の毒でした。
 あとで気づいたのですが、私たちの人数と、私が手に握らされたクレームタグの半券の数が一つ違い、一枚余ったのはなぜでしょうか。もう、今となっては分かりません。

★アレキパで乗り換え

 アレキパ空港は、国際線も離発着する空港ですが、小さな空港でした。やはり空港内は混み合っており、みなリマへ飛ぶ飛行機を待っていました。掲示板を見るとリマへ飛ぶ飛行機は、ランペルー航空と、アエロコンチネンテの2社がそれぞれ1便しかないようです。私たちの航空券は悪名高きアエロコンチネンテです。一抹の不安を感じながら、待つこと1時間。アエロコンチネンテがアレキパに着陸しました。これしかないと思い、列の後ろに早めに着きました。荷物もしっかり乗り継げるかとても心配でしたが、間違うほど便数がないので、意外とだいじょうぶかななんて思っていました。そこで知り合った日本人旅行者は、ペルーに着いてから5日後に荷物がやっと届いたそうです。旅行者のおばちゃんにパンツをもらったと言ってました。私たちは幸いにも今までそういったトラブルに巻き込まれていませんでしたが、結構、そういうことはあるようです。
 滑走路の向こうには6000mを越える美しい火山があり、頂きに真っ白い雪を積もらせ、とてもきれいでした。このような状況でも、カメラのシャッターをしっかり切っていました。
 飛行機は翼の前から乗るものとばかり思っていましたが、おしりの部分からも乗れることを初めて知りました。
 乗ってしまえばこっちのもの。あとはリマで現地係員が待っているはずです。機内食(軽食)も出て、ほっとしました。

★ペンションカンツータ

 リマの宿泊先は、ペンション。日本で予約をする際、「風の旅行社」からのすすめで予約した宿です。値段も安く、正直に言うとあまり期待はしていなかったのですが、これが大間違い。非常にリラックスできアットホームな雰囲気で、花まるでした。

以下、執筆中


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