8/14 塩田・クスコ市内観光


マラス塩田(MARAS SALINERAS)
 8:30 朝食 クスコでの宿泊先【ロスアンデス】
 9:00 迎えの車(半日チャーター)に乗車
 9:30 チンチェーロ手前のちっちゃな峠(景色が抜群)
 9:45 チンチェーロ
 9:55 氷河を頂いたアンデスの山々に感動
10:20 舗装がなくなる(マラス付近)
10:50 マラス塩田到着
11:50 マラス塩田をあとに
13:20 クスコ着
13:30 昼食「ホテル近くの日本食レストラン」
14:10〜 クスコ市内観光
16:30 ホテル着
20:00 フォルクローレディナーショー「El Truco」
21:45 ホテル着 クスコでの宿泊先【ロスアンデス:2泊目】

★ゆっくりとした朝

 昨日までと違って、この日の朝はゆっくりできました。時差にもだいぶ慣れ、夜中に目が輝いてしまうということもなくなったため、8時頃まで、熟睡することができました。ホテルのレストランで朝食を食べて、のんびりとくつろぐこともできました。

★車をチャーターし、穴場の塩田へ

 前の日、ガイドの篠田さんから聞いた、穴場(通常の観光コースには普通はいることがあまりない)のマラス塩田に行くことになっていたので、この日は朝からとても楽しみでした。交通手段がレンタカーか運転手つきの車をチャーターするしかないため、訪れる人は非常に少ないそうです。また、通常のツアーにも含まれないため、日本のガイドブックにもまず、載っていません。クスコからは、車で1時間半ほど走れば着くので、絶対お勧めです。

★のんびりとした道中

 チャーターした車と運転手は、前日までと同じでした。運転手のサバレッタさんは、陽気でまじめなおじさんでした。お互い片言の英語での会話となりましたが、とても親切にこちらのことを考えた運転や、所々ではガイドまでしてくれました。クスコからサクサイワマンに向かう道を通り、さらにアルコ(標高3600m)の町を通ります。そして、ポロイの町を過ぎた分かれ道で右折します。車はそのまま北上し、カチマーヨの街を過ぎたあたりから徐々に標高が上がってきたのが分かりました。
標高約3800m 見晴らしのよいところではこのようにおみやげ売りのおばちゃんたちが。 カチマーヨとチンチェーロの間あたりで、ちょっとした峠があり、車が何台が止まっていました。平らな部分では、物売りのおばさんたちが土産物の荷物を広げ、日本円で数十円から数百円ほどの民芸品を売っていました。私たちは、そこで写真を撮っただけでしたが、おばさんたちの呼び込みは結構なものでした。一日にいったいいくらぐらい売り上げがあるのでしょうか。ここまでの道で、何人か大きな荷物を担いだおばさんたちとすれ違ったり追い越したりしました。きっとこのように人が集まる場所に手作りのおみやげ品を担いで周辺の村からやってくるのでしょう。のんびりとした中にたくましさを感じました。大変景色がよいところで、空気も澄んでいて空がとても青いのが印象的でした。

チンチェーロ(標高3762m) チンチェーロの町(標高3762m)で、突然車が止まりました。運転手のサバレッタさんが電話をかけてくると言うのです。ペルーでも携帯電話は使われていますが、維持費がかなり高いようです。一部の人しか持っていないようです。10分ほど停車しました。ここまで1時間ちょっと。ひんやりとした空気を感じながら、町の様子を眺めました。ここでは毎週日曜に市が立つそうで、観光のためでなく、現地の人の交易の場だそうです。家々はアドベ(日干しレンガ)作りで、スペイン風の瓦が乗っかっていました。町の道にはインカ時代の水路があり、現在でも村の人々の大切な水場となっているようです。このあたりには湖もあって、周辺の田園風景はとてもきれいでした。

★氷河を頂くアンデスの山々

標高約3700m付近。子供たちがミサンガを売りに走ってきた。運転手のサバレッタさん チンチェーロ付近には湖もあって、周辺の田園風景はとてもきれいでした。おそらくこのあたりで最も標高が高いと思われる場所の近くに車を止め、サワシライ山、チコン山といった雪や氷河を頂いた山々を写真に収めようとしていると、数百メートル先から2人の女の子が全力疾走してきました。見ると手には手編みのミサンガを持っています。これを買ってほしいと言うのです。高いとは思いましたが、低地の3分の2の空気の中を全力疾走してきた小さな子を見ていたら思わず買ってあげたくなりました。1本1ソル(35円)で3本買ってしましました。ついでに記念写真も。
 日差しが強いため紫外線も強烈です。子供たちは日に焼け、肌は黒く荒れていました。私たちも連日日焼け止めを顔やら首に塗っての旅行となりました。ペルーへ行く場合、日焼け止めクリームは絶対に必携です。

★小麦畑の中で
マラスの町の手前を右に入ると舗装がなくなり、一面の小麦畑が広がる。 先ほどの最高地点(おそらく富士山頂よりも高い!?)を過ぎるとくねくねの下り坂が続きました。マラスの町(標高3352m)が左に見え始めたところを左折(マラスに向かう方向)します。まっすぐ行くとウルバンバの町(標高2863m)です。舗装された道を何分か進むと右側に「SALINERAS→」といった看板がありました。そこを車は右折します。「SALINERAS」は「塩田」という意味です。マラスの分かれ道からおよそ8kmです。
 
すぐに舗装がなくなり、小麦畑の中の道なき道(車の通ったあとを通るような感じ)を進みます。あたりは一面の小麦畑で、アンデスの山々をバックにとても牧歌的な風景がずっと続きました。運転手のサバレッタさんはところどころで車を止め、写真を撮ってくれたり、小麦の穂を手に取り、両手をすりあわせながらいらない部分を取り除くやり方を教えてくれました。手のひらの上にのったものに息を吹きかけると、小麦の粒だけが残ります。初めての体験でした。

★標高3200mの高地に突然現れる塩の棚田「マラス塩田」

 普通、「内陸や高地で塩が採れる」といえば、岩塩や、イスラエルの死海をはじめ塩湖をイメージすることでしょう。しかし、この日訪ねたマラス塩田では、岩塩をブルドーザーでかき集めたり、塩湖から塩を採ったりするのとは異なります。見た目には何でもない普通の小川の水から日光によって水分だけ蒸発させ、溶け込んでいる塩分を濃縮していくという方法なのです。車がやっと一台走れるかどうかという細い山道のすぐ脇を流れる小川の水は非常にしょっぱく、相当の濃度です。
 ここで疑問が一つ。ここクスコは標高3000mを越えているのです。マラス塩田は、万年雪や氷河をかぶってそびえ立っているアンデスの麓にあるのです。なんと、富士山の5合目よりも高いところに、塩辛い水の川が流れていて、そこから塩を精製するというのです。不思議です。やはりここ、アンデスは太古の昔海の底だったからでしょうか。それとも乾燥しがちな気候風土から、地中の塩分が凝縮され地下水に溶け込んで流れてくるのでしょうか。いずれにしてもガイドの篠田さんに話で聞いただけでは、半信半疑。自分の目で見るまで信じられませんでした。
アンデスの山岳地に忽然と姿を現す塩田 そして、さらに驚くことは、この塩田がインカの時代にはすでに同じ方法で使われており、現在まで変わらぬ方法で使い続けられているということです。インカの時代と言えば、昨日までいくつも見てきた段々畑を思い浮かべます。石組みでしっかりと造られたあのインカの段々畑です。まさにここもそれと同じ。インカの石組みに支えられた段々畑(日本や東南アジアの棚田のようなイメージ)がそのまま塩田として用いられているのです。そしてその数なんと4000というから驚きです。現在20ほどの家族
がこの塩田を守って生活しているそうです。精製した塩を袋に詰め、ロバの背中に背負わせてインカの町まで運ぶという何百年も変わらぬ営みを続けているのです。

マラス塩田の塩は、日本にも輸出されているそうだ。

小川を流れる水は、かなり塩辛い 入場料は2ソル(約70円)。
 塩田が見え始め、塩田がある山の反対側から撮った写真がこの上の上の大きな写真です。4000枚の田んぼが白く規則正しく並んでいるました。その塩田に入場できるというので、とてもわくわくしました。
 車は谷をわたり塩田がある側の山の斜面に沿って走りました。道の斜面側の路肩には小川が流れていて、あとでそれが塩田に注ぐ塩水の流れる川であることを知りましたが、なにげない普通の小川でした。
 車が一台やっと通れるほどの山道を通りながら運転手のサバレッタさんは塩田の入り口近くに車を止めました。以前、サイドブレーキの引きが甘く、車を落としそうになった人がいたそうで、念入りにサイドブレーキを引いていました。
 空気が薄いので少しの傾斜も結構息が切れます。斜面を下り小屋を通り入場しました。おじさんがやってきて入場料を請求してきました。細かいお金がなく、向こうもお釣りがなかったため、帰りまでにお釣りを用意してくれるということでお金はあとで払うことにして入場しました。
 塩田の一番上の岩の間から塩水はわき出していました。車で塩田の手前数百メートルを走ってきたときすぐ脇にあった小川が実はこの岩間に続いているそうです。(右の写真の上にマウスを持っていくとわき出すところが大きく拡大されます。)
 4000枚ほどある塩の田んぼでは、それぞれ違った行程を見ることができました。
【写真1】田んぼと田んぼの間のあぜ道を通って歩いていくと、塩水を入れ始めたところや、【写真2】太陽の光を浴び少しずつ水分が乾燥し凝縮しているところ、何度目かの水入れの様子など。またかき集める直前の田んぼでは【写真3】立方体の結晶がはっきりと現れ始めているところなども見ることができました。また、下の方では【写真4】トンボのようなものを使い家族と思われる人たちが塩をかき集め円錐形の山をつくっていました。

田んぼのあぜ道を歩いて行ける。(入場料2ソル) 太陽の光を受け、徐々に塩分が析出してくる。 手に取ると立方体の塩の結晶かよく分かる。 何度か蒸発を繰り返したらトンボのようなものでかき集める。
写真1 写真2 写真3 写真4

高低差を巧みに使い、上から下へまんべんなく塩水が行き渡る。 インカの石組みに支えられた田んぼを上から見るとかなりの傾斜があります。水は当然高いところから低いところに向かって流れるので、水は上から下に枝分かれし、蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路を通って全体に行き渡ります。非常に見事なことに水は均等にどの田んぼにも行き届き、偏りがありません。巧みに網の目のように張り巡らされた水路を設計したインカの人々の測量技術やその正確さ、緻密さがよく分かりました。
 小さな滝のように勢いよく流れる塩水が何百年も変わらずそこを通り、インカの人々に塩をもたらしたのだと考えるとしばらく見とれてしまいました。
 田んぼはほぼ長方形をしていて、大きさは3〜4m×1〜2mのものから10m以上×3〜4mのものまでありました。山の斜面の傾斜に沿って組まれた石組みに支えられているので、非常に頑丈にできているのでしょう。
日本で売られているインカの塩(300gパック)・・・日本に輸出されるものをリマで購入掘っ建て小屋の中にはミネラル分豊富な塩が集められていた。30キロはあるかという塩の袋を少年は運ぶ。これも家事手伝いか!? 
塩田のあぜ道を通り、数百メートル歩き一番奥に行くと、袋に詰められた塩(1袋50kg)を担いで倉庫に運ぶ仕事をしている人たちに出会いました。
 年の頃は中学生くらいでしょうか。塩の入った思い袋を肩に担ぎ倉庫までの道をよたよたと歩いてきます。家事手伝いと言うことでしょうが、感心しました。
 塩は、純度によって種類があるようでしたが、この日、ここには、普通の塩が集められているようでした。別の袋にはもっと大きな結晶の純白に近いきれいな塩もありました。
 ミネラル分が豊富なこの塩を欲しいなと思い、訪ねてみると、小売りはしていないとのこと。このあと日本に帰国するまでに何とか手に入れたいと思いました。結果的には、クスコやプーノでは手に入らなかったのですが、リマの宿泊先のペンションに併設されている土産物屋で購入することができました。300gで数百円弱だったと思います。肉料理などに抜群の相性だそうです。帰国してから、焼き魚や焼き肉など、いろいろなものに使っていますが、うまみがありとてもおいしいです。
 
★久々の日本食

 帰り道は車に揺られながら少しうとうとしてしまいました。気がつくとクスコの街が見えてきました。ホテルに着いたのは塩田を出て1時間半後の13時20分。よくしてくれた運転手さんにチップを渡し、部屋に帰りました。急にお腹が空いてきたので、久々の和食を食べに近くの日本料理店へ向かいました。金太郎というそのお店は日本のガイドブックにも紹介されていますが、現地の人たちも来店するお店のようです。
 クスコをはじめペルーの高地では、気圧の関係で沸点が90度前後なので、米がしっかり炊けません。芯が残ってしまい、あまりおいしくありません。しかし、日本料理店では、圧力釜を使って炊いているため、おいしいご飯を食べることができました。久々の「しょうゆ」と「だし」を「みそ」の味を楽しむことができました。味は、まあまあといっておきましょう。

★インカの都クスコ

インカの都クスコ(空撮) 食後、クスコの市街を歩くことにしました。見たいところは前日の夜に絞り込んであったので、コースを予定通り歩くことにしました。予定通りに、とは行きませんでしたが、だいたいクスコの街のめぼしいところは回ることができました。
 予定していたコースは、次の通りです。

壁画(クスコの歴史)→サントドミンゴ教会(コリカンチャ=太陽の神殿)→ロレト通り→サンブラス教会→12角の石→楽器店→宗教芸術博物館→考古学博物館カ→テドラル→コンパーニャ教会→アルマス広場→ラ・メルセー教会→サンフランシスコ教会等々

 時間の都合や、妻の体調を考え、予定の半分ちょっとしか行くことはできませんでしたが、いずれも想像以上にすばらしく、特にインカの石組みや教会などの細工の細かさやスケールの大きさには驚かされました。

サントドミンゴ教会の基礎は、インカの石組み教会内に残るコリカンチャの石組みのあとカミソリの刃一枚通さない精巧な石組み まず最初に訪ねたのは、サントドミンゴ教会です。インカの時代「コリカンチャ」と呼ばれた太陽の神殿の上に建
てられていて、インカ時代の見事な石組みを見ることができることで有名です。
 スペインの征服者たちは、クスコのコリカンチャを見て、アッと息をのんだといいます。神殿を囲む石組みのすばらしさもさることながら、壁には幅20cm以上の金の帯が付けられていたからです。中にはいると、そこには夢のような世界が広がっていたといいます。広場の金の泉からは水がサラサラと流れ、金の石が敷き詰められた畑には金のトウモロコシが植えられていたのです。さらに等身大の金のリャマを連れた人間像もあり、金で覆われた太陽の祭壇があり、そこには分厚い金の太陽像が日の光を浴びてきらびやかに輝いていたのだそうです。
 現在のサント・ドミンゴ教会は、スペイン人たちが黄金をはじめすべての欲しいものをコリカンチャから取り去ったあとに建てたものです。コリカンチャの上部をこわし、残った土台を利用しその上に建てたこの教会は、その後に起きた地震で無惨にも崩れ落ちます。しかし、土台の石組みだけはひずみ一つ起こさなかったというのは有名な話です。インカの石組みの精巧さを示す証拠として語り継がれています。実際素人が初めて見ても、インカの石組みとスペイン人の造った教会の石組みとは歴然とした差があります。また、石組みはマチュピチュでも見たように立体的に複雑な組み合わせによってできています。ただ積んだだけではないのです。
 16世紀、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした際、この神殿にあった黄金はすべて鋳つぶして本国に持ち去られてしまいました。しかし、あまりに大量の金が一時期に流れ込んだので、ヨーロッパではインフレが起きたそうです。
 教会の裏手の石組みは現在も発掘、復元が進められ、私たちが行ったときも作業をしていました。

☆インカの石組み

 インカの石組みのすばらしさは、クスコのあちこちに見ることができます。現在のクスコの街は、インカの時代の石組みの上に建てられているといっても過言ではありません。中でもいくつかの通りは観光の名所にもなっていて、その見事さはひときわ目立ちます。
 
【写真1】まず、サントドミンゴ教会(コリカンチャ)の裏側です。
神殿の中のでみた石組みの裏側だけあって、隙間一つない見事な石組みの通りが100mあまり続いています。
 
【写真2】そして、ガイドブックなどにもよく載っているロレト通りです。現代の世の中とは違う時代に迷い込んだような、そんな雰囲気のある通りです。200mにもなるロレト通りは、クスコの中でも最も長い石組みの残る通りの一つです。とてもよい雰囲気の通りで、お勧めです。
 
【写真3】そして、トリンフォ通りです。ロレトホテルの角を北西の角を北東に向かう通りです。石組みが曲線を描いており、人がさわる部分がてかっていてきれいでした。(写真参照)
 
【写真4】さらに、有名な12角の石があるアトゥン・ルミヨク通りです。特に【写真5】12角の石は、考古学博物館を支える礎石に当たり、他の通りよりも大きな石が使われているのが特徴です。ここでは、寸分の隙もなくぴったいと積み重ねられる石組みの中でも特に精緻なものを見ることができます。はじめ、ガイドブックなどには、見つけるのが大変だというようなことが書いてあったのですが、近くに行くと、12角の石を絵に描いてそれを売っている人や、民族衣装に身を包んで、私と一緒にこの石を撮るといいよといわんばかりにチップをせがむ少女などが群がっていて、見つけるのにはそれほど苦労しませんでした。

サントドミンゴ教会の外側 インカの石組みが残ることで有名なロレト通り 何百年もの間ビクともしないインカの石組みの中でも有名な12角の石。
写真5
写真1 写真2
スペインの植民地時代に築かれた町並みはインカの石組みに支えられている。 宗教芸術博物館の基礎(12角の石が埋め込まれているインカの石組み。12角の石は写真の右側に回り込んだところにある)
写真3 写真4 ↑周りには10角前後の石もいくつかある。

☆スペインが築いた建築物の数々(教会・修道院等)

アルマス広場とカテドラルカテドラルラ・コンパーニャ・へスス教会アルマス広場

☆フォルクローレ楽器のお店

ケーナサンポーニャ

★妻のダウン

★フォルクローレディナーショー

民族楽器の奏でるフォルクローレの調べここでは、いくつかのグループが代表的なフォルクローレ音楽を演奏し、CDの宣伝や販売なども行う。収穫や豊穣を祝った伝統的な仮装ダンス


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