8/13 マチュピチュ遺跡2


マチュピチュ遺跡とリャマ
6:30 朝食 アグエスカリエンテスでの宿泊先【マチュピチュイン】
7:25 マチュピチュ遺跡行きのバスに乗車
7:50 マチュピチュ遺跡着
8:00 マチュピチュ山登りはじめ
10:05〜10:40 マチュピチュ峰頂上
11:40 下山(マチュピチュ遺跡着)
15:20 マチュピチュ遺跡をあとに
15:23 バス乗車
17:00 アグエスカリエンテス駅を発車(アウトバゴン)
20:45 クスコ駅着
21:15 ホテル着 クスコでの宿泊先【ロスアンデス】

★マチュピチュ山に登る

一番高いところがマチュピチュ山(3050m) 前日登ったワイナピチュ(「若い峰」の意味)は、ガイドブックにも載っており、ちょっと時間的に余裕のある旅行者が、ちょっとがんばれば登ることができるので、結構多くの人たちが挑戦します。実際行きも帰りもたくさんの人に会い、すれ違いました。入り口では名前を書き、時間制限などもあるため、ハード的にもソフト的にも充実した観光登山コースになっています。片道1時間もあれば登ることができ、マチュピチュ遺跡全景の写真に必ずと言って写るため馴染みも深いのか、また、頂上付近にインカの石組みや建物などがあり見所もあるせいか、ほかにも頂上からマチュピチュ遺跡がすぐ足下に見え、ウルバンバ川やつづら折りのバス道もみえるためか、とにかく、メジャーな感じのする場所です。
 それに対して、マチュピチュ遺跡の名前の由来となったマチュピチュ(「老いた峰」の意味)山は、登るのに2時間かかり、標高も3000mを越え、ガイドブックなどにも載っていないためか、観光客は滅多に登らないようです。事実、私たちが登って降りる間に、出会った人はわずか3人です。現地の観光ガイドでもまず登ることは少ないそうです。
 登り口には、案内板すら出ておらず、言われなければすっと通り過ぎてしまいそうです。前日、ガイドの篠田さんに聞いていたため迷わずに登り口を見つけることができましたが,前日のワイナピチュの登り口(小屋があり入り口に名前と上りはじめの時刻を書くノートがある)と比べ,これではまさかここからあの山のてっぺんまで登ることができるとはまずもって思わないでしょう。段々畑のあぜ道としか思えません。矢印や文字かなにかあれば上り口だと分かると思いますが,これはこれでいいのかも知れません。
登り初めて1時間15分。ウルバンバ川から涼しい風が山肌を駆け上る。 ワイナピチュとくらべマチュピチュは地味ですが、ここは、絶対お勧め。頂上からの360度のパノラマには絶句してしまいました。足下にマチュピチュ遺跡、さらにその下には深い深いウルバンバ川の渓谷、振り返ると頂上に雪を頂いたアンデスの峰々。とにかくめちゃめちゃ気持ちいいところです。登っている途中も鳥たちの澄んだ声しか聞こえず、ウルバンバ川から山肌を上ってくる涼しい風が本当に気持ちよく感じます。
 マチュピチュ遺跡からマチュピチュ山を見上げると、頂上にクスコ県の旗(虹の7色の旗)が立っていることのがわかります。そこまで登ると思うと、登る前から挫折しそうになります。でも、登っていくと、道はワイナピチュよりも登りやすく、人もいないので自分たちのペースで登ることができ、あまり疲れません。時間がある人は、絶対絶対行ってみてください。登り口の分からない場合は連絡下さい。紹介しますよ!


★マチュピチュ山頂【標高3050m】

クスコ県の旗は麓から見るのとちがい、相当大きい。マチュピチュ山頂・・・マチュピチュ遺跡やワイナピチュがかなり下に見える。 登りはじめからちょうど2時間。空気の薄さを感じながら何とか頂上に着きました。頂上の手前10分くらいのところで、頂上からの帰りと見られる外国人の男性1人とすれ違いましたが、私たちが頂上に着いたときには先客は誰もおらず、マチュピチュを見下ろすマチュピチュ山頂は私たちだけで独占できました。前日のワイナピチュは頂上付近は順番待ちで写真を撮るような感じでしたが、ここは、完全に独り占めできました。
 旗の立っているところから麓を見下ろすとマチュピチュ遺跡がちっちゃく見え、ワイナピチュの頂上が下に見えます。よく目を凝らして見ると、大勢の人々が点のように見えます。ワイナピチュへの登山道もよく見えます。また、マチュピチュ遺跡を回り込んで蛇行するウルバンバ川の様子や、マチュピチュ山とワイナピチュ山の鞍部に建設されたマチュピチュ遺跡の構造もよく分かりました。
 頂上付近は狭い平らな部分があるだけですが、頂上手前数十メートルのあたりには石組みで造られた小さな砦のような囲いがあり、明らかにインカの人々がここ何かの目的を持って来ていたことが分かります。360度遮るもののないここは、敵の侵入や周囲の異常などを発見するのに適した見張り場所だったのかも知れません。

★マチュピチュ山から下山 

ここに登りました!! 帰りは行きと違って、あっという間でした。空気の薄さにも慣れてきたのでしょうか。登りが2時間かかったのに対し、下りは1時間ちょうどでした。
 思いの外早く下りてきたため、時間にも多少余裕がある、1日目に見逃したコンドルの神殿などをゆっくり見てから遺跡を退場し、食事をして帰ろうということになりました。
 帰りの列車(アウトバゴン)の発車時刻が15:00なので、遅くとも14:00のバスに乗らなくてはなりません。そこで、多少余裕を持って13:45ごろのバスに乗ろうと考えていました。
 時間を逆算し、12:45には昼食を食べ始めればいいので、その前に1時間ほどありました。コンドルの神殿をはじめ、地下牢獄などを見学することにしました。

★1日目に見残したところを見学

王女の水浴び場 マチュピチュ山に登ったあとだったためちょっぴり疲れていましたが、1時間ほど遺跡の見学をしました。

徹底した水の管理
 まず向かったのは、「王女の水浴び場」と呼ばれるところです。太陽の神殿の下にある陵墓の入り口にあり、水汲み場へとつながっています。水路はここから聖職者の水汲み場、庶民の水汲み場へとつながっています。
 巧みに石に刻まれた溝は、階段状の落差を落ちながら流れていました。水をくむのにちょうどよい水がたまる部分があり、ここからインカの人たちが水をくんだんだなぁと想像しました。
 町の中には16(または17)の水汲み場があるそうです。水汲み場は貯蔵用として使われたのではなく、むしろ、水の典礼や儀式的なものとして使用されたといわれているそうです。
 インカが大帝国へと発展していく過程には、灌漑用水路の整備拡大と、徹底した水の管理があったといわれます。インカの人々はサイフォンの原理を知っており、網の目のように張り巡らされた水路からも、かなり高度の技術を持っていたようです。マチュピチュにも石を削った水路が張り巡らされていて、現在でも絶えず水が流れています。
 数日前に訪ねたオリャンタイタンボにも水路が張り巡らされていて、また、タンボマチャイの聖なる水もインカの人々が作り上げた水を巧みに扱う技術です。マチュピチュがスペイン人から逃れたインカの人々によって急遽造られた町ではなく、計画的に造られた町なんだと感じました。 

以下執筆中(見通したたず…)


★太陽の地区
 太陽の神殿、陵墓、王女の宮殿等のあるこの地区の石積み技術は、マチュピチュ随一です。

陵墓(太陽の神殿の大塔の下)
太陽の神殿の大塔 陵墓 王女の宮殿
太陽の神殿
蛇の窓
太陽の神殿の北側
美しい曲線を描く太陽の神殿は、巨大な自然石の上に建っていて、非常に精巧な石組みです。神殿には2つの窓があり、一つは冬至の日の夜明けには、東の窓から太陽の光が差し込み、夏至の日の夜明けには、何との窓から光が差し込むそうです。


★コンドルの神殿と牢獄


★昼食


★ラッキーな出来事

アウトバゴンの遅れのため、


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