8/11 メンフィス・サッカラ・ギザ


【成田から20時間】エジプト航空MS865便 B777-200

 成田から、エジプト航空直行便で20時間。直行と言っても、マニラ&バンコク経由なので、関空からのノンストップ同日着便(15時間)と違って、翌日早朝着。つらいのか楽なのか、一体どっちなんでしょう・・・。「15時間、じっと座っていると着いてしまう」方が楽か、「4+3+9で分割されている」方が楽かという問題ですね。
 経由地で給油やら機内清掃をする時間、トランジットルームで待っている間に運動をしたり、休憩したり、ある程度リフレッシュできたので、20時間といえども、まあ、我慢できる時間でした。ビジネスクラスやファーストクラスにいつか乗ってやる!と思ってかれこれ10年以上。夢は大きく持たなくちゃね。
 20時間もあると機内食までたくさん出てきます。なんと4食。することはというと、じっとしているか寝ているか食べているかという、拷問のようなフライトです。途中、マニラ到着の前に機体に鳥が衝突したとかで、トランジットの際、計2時間ぐらい待たされましたが、まあ、あせってもしょうがない。のんびりトランジットルームで居眠りして待ちました。(ちなみに,マニラで鳥の衝突の応急処置をして飛び立ったのですが,バンコクまでは鳥の直撃を食らったボイラーの故障のためお湯が出ません。コーヒーや紅茶などのホッとドリンクは,バンコクまでの間出ませんでした。バンコクでの修理でボイラーが復活したらしく,そのあとはホットドリンクが出ましたが…。)

【エジプト到着・生ピラミッド】

 成田を日本時間の夕方16時にテイクオフしたMS865便は、カイロ国際空港に、翌朝6時過ぎ(時差が日本と6時間あります)に着きました。ビザは、空港で取得(25USドル)できます。
 エジプトに着いて、まず最初に、空港の銀行で両替をしました。両替(1LE(エジプトポンド)=約27円)をして手に入れた紙幣の汚いことと言ったら・・・。トルコに行ったときも汚いなぁと思ったのですが,それよりももっともっと汚い紙幣でした。今まで一番汚かったペルーの方がまだきれいでした。(後々わかるのですが、ホテルなどにある機械の両替機だと、ピン札が手に入ります。)
 両替は最低限(一日に使う現地通貨)でよいというので、2人で40ドルを両替しました。(レストランでの飲み物代、写真撮影料、ちょっとした買い物(ミネラルウォーターなど)、トイレチップなどは、現地通貨しか使えません。土産物屋などのその他の場面では、ドルで何とかなりますし、ホテルで両替ができるので、毎日こまめに両替をすれば、現地通貨を多くもたなくてもよいと思います。また、例に漏れずエジプトの通貨(エジプトポンド)は、国外では、ただの紙切れ同然になりますので、エジプト滞在中に使い切らなくてはなりません。ちなみに、初日に両替した40ドルは、3日目の午前中まで十分に足りました。また、買い物などをするときは、エジプトポンド(エジプシャン)と米ドル(ダラー)と両方値段を聞いてみた方がよいと思います。端数の関係か何か、ドルの方がよかったりもします。大概はエジプトポンド払いの方が割安なのですが、ドル払いのほうが割安になる場合も何度かありました。
 空港の外に出ると、もっと暑いかなと思っていましたが、意外や意外、思いの外涼しいのに驚きました。明け方だったからなのですが、20度ちょっとかなといった感じでした。日本の方が明け方は暑いです。(実は,カイロだけだったのですが・・・)
 バスでまっすぐホテルまで向かいましたが、ギザのホテル(メリディアン)に近づくと、あっけなくピラミッドが目の前に。生ピラミッドを見たくて、エジプトまで来たのだから、もう少し感動的な出会いをしたかっただけに少し残念です。でも、そんな気持ちは、一瞬で吹っ飛び、その存在感や後光が差したような雰囲気に圧倒されました。とにかく、「すごい!」としか声が出ませんでした。
宿泊したホテル「Le Meridian Pyramids」の部屋から見えるギザのピラミッド(クフ王、カフラー王) ホテルの部屋の鍵をもらってから、レストランで朝食(バイキング)をとり、9時半集合で、メンフィスへ出発。朝食後、集合までの間、部屋へ行くと、窓のむこうにピラミッドが・・・。部屋からピラミッドが見えるというのは、不思議なものです。ピラミッドは、後でたっぷり見ることができるので、顔を洗ってすっきりしてロビーへ向かいました。(写真の上にマウスポインタを載せるとホテルの部屋からのパノラマをご覧いただけます。)

【メンフィス MEMPHIS】

 ホテルを出たのは、午前9時32分。バスは、ホテルのすぐ前にあるギザのピラミッドを後に、メンフィスに向かいました。メンフィスは、エジプト古王国時代の首都。エジプト統一国家発祥の地です。
 紀元前3000年頃、初期王朝の開祖ナルメル王(別名メネス王、第1王朝)は、それまで2つに分かれていた上エジプトと下エジプト(上エジプトは、ナイル渓谷地帯、下エジプトは下流デルタ地帯です)を統一しました。古代エジプトの強大な国家の原型は、このナルメル王の時代からと言われています。その後紀元前2650年頃に、メンフィスを首都とした古王国時代が始まったわけです。しかし、メンフィスは歴史的には重要な役割を果たしてきた都ですが、現在では廃墟となっていて、ラムセス2世像スフィンクス、聖牛のミイラを作るために使われたという解剖台(ともにアラバスター製)と一部の遺跡を残すだけとなっています。

《ラムセス2世像》

ラムセス2世の巨像 メンフィスに到着したのは、10時10分。入場券とカメラチケットを入り口のおじさんに見せ、遺跡の中に入るとすぐ右手に博物館の建物があります。その中には身長15mのラムセス2世の巨像が横たわっていました。メンフィスの都が栄えた古王国時代のものではありませんが、後の新王国時代大9王朝のファラオであるラムセス2世がこの地に建造した自分の像です。脚の一部は破損していますが、奇跡的な保存状態のよさで知られています。建物の2階からは、吹き抜けになっている1階に横たわっているラムセス2世像の全体を眺めることができます。(ラムセス2世については後述)非常にきれいな像で、ほとんど傷んでおらず、表面には光沢すら感じられます。自己顕示欲の強いファラオであったことがよくわかります。

《バクシーシ》

 ここでひとつエジプトに行って始めての経験ですが、「バクシーシ」についてお話します。バクシーシとは、相手が請求してくるチップのようなもので、よく言えば施しを求めてくる、悪く言えばたかってくるといった感じです。博物館の中にいるおっちゃんば、「写真をよくとることができる場所はここだから、ここからとるといいよ。」と、親切に案内してくれたので、(日本の感覚で)親切な人もいるなと思って、その場所に行き、写真を撮ると、手を出してきました。「あっ、これか。」と思ったのが、ちょっと前にバスの中でガイドが話していたバクシーシの話です。まあ、ここは素直にと思って、50ピアストル(約14円)を渡しました。エジプトでは、チップを払う場面のほかに、このようなバクシーシを請求する人が結構いました。渡す義務はありませんが、お金のある人がない人に施すというイスラム教の教えを誇大解釈した名残だそうです。旅行の後半,小銭が余ったときなどは,郷に入っては郷に従えです。いいかも知れません。

《アラバスター製スフィンクス》

アラバスター製スフィンクスアラバスター製スフィンクス(正面から) 続いて、メンフィスで有名な、アラバスター製のスフィンクスは、高さ4.25m、全長8mで、ギザのスフィンクスの7分の1の大きさです。1912年にヤシに覆われた丘の中から発見された物で、第18王朝アメンヘテプ2世の建造と言われ、プタハ神殿(メンフィスの神プタハをまつる神殿)の南側の入り口を守っていたと考えられているそうです。ガイドから聞いた話では、ギザやメンフィスにあるような顔が人で体がライオンのスフィンクスは、ファラオのために作られた物だそうです。(一方、体が動物(羊や象など)で体がライオンのスフィンクスは、神様のために作られた物だそうです)
 このころには、気温がだいぶ上がり、40度弱と言ったところでしょうか。直射日光が強く照りつけ、暑いなぁと感じるようになってきました。とにかく直射日光は強烈です。

《アラバスター製解剖台》

ラムセス2世立像アラバスター製解剖台 遺跡の中には、他に、ラムセス2世立像や聖牛を解体する際用いられたと言われるアラバスター製の解剖台などもあります。
 古代エジプト人は、古くから家畜として牛を飼うとともに、牝牛を聖牛として崇めていたそうです。牝牛の中で斑点や尾の形状が特別のものは、アピスと呼ばれ、プタハ神を象徴するとして崇められミイラにもされたそうです。そのアピスを解体する台が右の写真のアラバスター製解剖台です。側面は、ヒエログリフで埋め尽くされていました。

《かつての首都も今では…》

 遺跡の周囲は、のどかな田園風景が広がり、トウモロコシとナツメヤシ、ユーカリの木があるだけの田舎道があるだけです。今から5千年前、エジプト統一国家の首都として栄えた都も、今ではなんだか寂しげに感じました。
 Data:メンフィス博物館の写真撮影料…5LE(約135円)、フラッシュOK

【サッカラ SAQQARA】 

《天才建築家イムヘテプ 階段ピラミッドは王が天に近づくため!?》

 次に向かったのは、サッカラの遺跡です。10時50分にメンフィスを出て、10分ほど走るとサッカラに到着しました。サッカラで有名なのは、現存する世界最古の石造建築物であるジェセル王の階段ピラミッドです。
 ジェセル王は、エジプト統一国家第3王朝のファラオで、古王国時代の創始者です。絶対的な権力をもっていたジェセル王は、大臣イムヘテプを使って墓の造営を行わせました。イムヘテプは、医師、神官、天文学者、彫刻家としても知られる才能豊かな人物で、天才的な建築家でもあります。後に彼の死後、その名は神格化され、学問・建築・技術を司る神として祀られることになります。
 ジェセル王の時代、当時一般的だった墓の形は、台形の墓です。イムヘテプは、この台形の墓を積み重ね、四角錐に近い形に発展させ、新しいタイプの墓を生み出しました。これがエジプトのピラミッドの始まりです。第2王朝までの王墓は、日干しレンガを台形に積み上げただけの物(マスタバ墓と呼ばれる)でした。イムヘテプは、当初、このマスタバ(アラビア語でベンチの意)を作りましたが、少しでも王が天に近づくようにと、そのマスタバを重ねるように設計変更を行い、階段ピラミッドを完成させたそうです。
 2002年9月、早稲田大学の吉村作治博士が、イムヘテプのものと思われる墓(ピラミッドの原型)を発見しそうだというニュースが飛び込んできました。もし、これが見つかれば、21世紀最大の発見となると、吉村博士は言っています。たしかに、長年改名されなかったピラミッド作りの秘密(本当の目的)が改名されるかも知れません。とても楽しみです。

《ジェセル王の階段ピラミッド》

サッカラにあるジェセル王の階段ピラミッド 階段ピラミッドは、基底部140m×128m、高さ60mの大きさで、6段の階段状になっています。ピラミッドの石は、内側に75度の角度で傾けて積まれています。これは、上からの圧力で石が外側に崩れてしまわないように設計されたものだそうです。この石積みの技術は、後世のピラミッド設計の基本になったそうです。
 ピラミッドの内部は現在公開されていませんが、度重なる設計変更のため、いくつもの部屋や回廊があるそうです。また、ジェセル王のミイラを安置する玄室は第一層の地下に掘られているそうです。
 マスタバが6段積み重ねられたピラミッドは、今までテレビや本などで見たギザのそれと違って、また、新鮮さを感じました。「ピラミッド」とは「永遠の住安」を意味する言葉「ペルエムエス」が「ペラメドス」と発音されるようになって現在の「ピラミッド」という言葉に至るそうです。
 ジェセル王の階段状ピラミッドは、ピラミッドコンプレックスの一部で、周囲には数々の建造物があります。ピラミッドコンプレックスとは、ピラミッドを中心とする複合建設という意味で、王墓(ピラミッド)、河岸神殿、参道、葬祭殿などを言います。時代によって少しずつ異なりますが、このジェセル王のピラミッドコンプレックスは、素人でもその構成がよくわかります。
入り口にある柱廊竪穴セド祭壇 ピラミッドコンプレックスを囲む周壁に口を開けた入り口から通路の中にはいると、そこは、一気に4500年前の世界です。列柱はパピルスを束ねた形を表しているそうですが、私には伊達巻きに見えました。でも、その保存性の高さや細工の細かさ、精緻な作りは、とても4000年以上、そこにあったとは思えないほどです。
 列柱の並ぶ廊下を通り抜けると祭壇や階段ピラミッド、竪穴墓などが広がっています。ピラミッドの裏手には葬祭殿があります。私には、この階段ピラミッドがかなり大きく見えましたが、ギザのピラミッドの高さの半分もないと聞き、驚きました。
 ピラミッドを目の前にすると、青い空と焼けた砂とのコントラストがとてもきれいで、とても不思議に気持ちになります。今は、風化が進んでいますが、完成直後は、さぞかし美しかったんだろうなと感じました。

《ピラミッドコンプレックスのまわり》

周りには発掘調査のあとや、マスタバ墓が見られます。壁にコブラの飾りがありました。 ピラミッドコンプレックスの南の周壁に登ると、視界が開け、遠くダハシュールのピラミッド群も見えました。天気がよければギザのピラミッドも見えるそうです。ピラミッドコンプレックスのまわりには、いくつかのマスタバ墓や崩れかけのピラミッドが見られます。また、発掘調査のあとが雑然とそのままになっていたりもします。
 周囲のマスタバ墓やピラミッドの中で、やや大きめの小高い丘のような崩れかけたピラミッドがあります。そのピラミッドは、第5王朝最後の王、ウナス王の墓です。ギザのピラミッド造営から約200年後のものですが、このころになると、王は神と同一ではなく、太陽神ラーの息子という地位に格下げされていたということです。従って、ピラミッドもかつての威光を感じさせることはありません。しかし、このピラミッドは、外観こそ崩れかけていますが。最古の「ピラミッドテキスト」を有することで貴重なものです。ピラミッドテキストとは、簡単に言うと、王が死後の世界で生き返り永遠の命を得るための呪文です。玄室内の壁一面がヒエログリフとレリーフで装飾されていて、大変美しいそうです。(この中に入ることは現在できません)
ウナス王のピラミッド このヒエログリフ文書が発見されたことから、この時代にはすでに文字が魔よけとして信仰されていたことがわかります。また、ピラミッドテキストは、後にピラミッドが造られなくなっても王墓や棺、パピルスの巻物である有名な「死者の書」といった形で常に死者とともに埋葬されていったことからも、とても重要な意味を持っています。ウナス王のピラミッドの玄室には、ピラミッドテキストが一面に描かれた石棺、無数の星が描かれた天井など、大変美しいそうで、是非見たかったのですが、閉鎖されており、外から写真を撮るだけしかできませんでした。
 写真を撮っていると、ラクダと一緒に写真を撮らないかというおじさんや少年が寄ってきます。「Photo No Money」と合い言葉のように言ってきますが、いざ、写真を撮ると、チップを請求してきます。料金は取らないけどチップは寄こせということで、ただというのは嘘ではないというのが彼らの言い分のようです。本当にラクダの写真を撮りたい方はいいと思いますが、そうでない場合はご注意下さい。また、ラクダ引きやロバ引きがしつこくつきまとってきますが、はっきりNoと言えば、それ以上は言ってきません。
 Data:サッカラの写真撮影料…5LE(約135円)、フラッシュOK

【昼食:シーフード】

 サッカラを約1時間ほど観光し、11時55分に出発しました。バスで向かったのは、ギザにあるレストランです。2階の席からは、ピラミッドを見ながら食事ができる抜群のロケーションにあるレストランでした。
アエーシと呼ばれるパン。ごまのペーストを付けて食べます。 シーフードと言っても、イカとエビのフライでした。まずまずおいしく食べることができました。飲み物は、ソフトドリンク(コーラやスプライトなど)が6LE、ビールが12LEでした。迷わずビールを注文。エジプトで一番有名なステラという銘柄ではなく、サッカラというラベルが貼られたビールが出てきました。遺跡見学をしてのどの渇いた後には、格別でした。エジプトに行く前日本で、あまりビールはおいしくないと言われていましたが、このときは、とてもおいしく感じました。また、主食はアエーシと呼ばれるパンで、ごま風味のペースト(ソース)を付けて食べます。まあ、普通かなぁ、といった味でした。円形をしており、街のあちらこちらで売られています。エジプト人の日々の糧だそうです。
 レストランで、トイレに行き、トイレチップ(50ピアストル=約18円)を渡しました。通常トイレチップは50ptから1LEぐらいが相場のようです。ちなみに、エジプトでは、空港でも、レストランでも、観光地でも、一部を除いたホテルでも、ほとんどのトイレに人がいて、チップを渡す必要があります。手荒い後にペーパータオルを渡して来るところもあれば、入り口でチップを渡さないといれないぞ!と言わんばかりの人もいます。また、ペーパータオルをもらわずに自分のハンカチを出して手を拭き、チップを渡さないという手もありますが、日本円で10円ちょっと。現地の流儀に従うのもまたいいものかなとも思います。気持ちよく渡した方が気持ちよく用を足せたりして・・・。

【ギザの3大ピラミッド】

ギザの3大ピラミッド(左からクフ王、カフラー王、メンカウラー王) エジプトと言えば何?と問われれば、多くの人がピラミッドと言うでしょう。エジプト国内にある大小様々なピラミッドの中で、大きさ、完成度とも最高のピラミッドがギザの3大ピラミッドです。ギザのピラミッドは、約4500年前に作られ、紀元前5世紀にはギリシア人が観光に訪れており、観光地としても2500年以上の歴史があります。世界最古の観光地でしょうか。
 ギザのピラミッドは,古代から、世界の7不思議の一つに数えられ、数多くの研究が古くから行われてきています。ピラミッドを科学的に解明しようという研究の多くが人々の関心を誘い、また、その雄姿から、多くの人をこの地に集めてきたのでしょう。
 とにかく、大きく、神秘的な雰囲気を感じさせるピラミッドですが、その前に立つと、自分の小ささが強調され、単に体の大きさだけでなく、精神的な未熟さまで見透かされているような恥ずかしい気持ちにさえなります。不思議なものです。
 ピラミッドに関する諸説は、数多くあります。代表的な説を列挙してみます。
  1. 知識の集大成として…ピラミッドの底辺の周囲をピラミッドの高さの倍で割ると、π(円周率)になることから、円周率を表現しようとしたという。構成に幾何学的、数学的知識を残そうとしたと言う説。
  2. 天文台である…完成前の大回廊から前転の88%が観測できることになり、古代ギリシアの文献にも、天文台として利用したのではないかという記述があることから、そう言われている。
  3. 日時計…ピラミッドが正確に東西南北の方向を示していて、その影が春分、秋分、夏至、冬至などを示していたという説。
  4. 地球の縮図という説…ピラミッドが北半球の4万3200分の1のモデルになることからこう考えられている。(4万3200分の1という数字は中途半端なようだが、24時間=8万6千400秒の半分が4万3200という数になる))
  5. 宇宙人の基地…宇宙人が地球への着陸基地といて利用していたというもの。これは、ピラミッドの建築技術があまりにも高度で、こんな説でした説明できないだろうということだそうです。
いずれにしても、結論は出ず、古い時代のロマンあふれる話も含んだものとなっています。それにしても、不思議ですね。

《暑くて痛いピラミッドの中〜クフ王のピラミッドへ入場》

ギザの第一ピラミッド:クフ王のピラミッド 午後1時20分にギザのピラミッドの前でバスを降りたのですが、とにかく、暑い。砂を含んだ熱風が吹き、太陽が頭の真上から、照り返しが足下の砂や石から、日陰など何もない砂漠で、我慢するしかありませんでした。よく、暑いと言っても日本のように湿度が高くなく、からっとしているから、そんなに暑く感じないでしょう?と聞かれますが、とんでもない。暑いものは暑いし、体の回りすべての方向から熱せられているようなものです。たまりません。
 ギザでの最初の観光は,ピラミッド内部に入ることでした。ギザの3大ピラミッドのうち,最大なのが,クフ王のピラミッドです。基底部の一辺が230m,高さが(現在)137mの四角錐です。ちなみに建造時は高さ146mだったそうで,ピラミッドの頂上には建造時の高さを表す鉄製の櫓のようなものが乗っかっていました。使用されている石は石灰岩で,200万個〜300万個使われているそうです。
 ギザにある3基のピラミッドはすべて内部に入ることができるのですが,内部が非常に複雑でつくりがよいと言われるクフ王のピラミッドに一番入りたかったので,とてもうれしく思いました。ちなみに,どのピラミッドに入るかは,現地の事情で変わるため,旅行会社も確約はできないようです。内部へはピラミッドの本来の入り口からは入ることができません。現在は,地上17mのところにある盗掘口から入ります。そこから入り,盗掘坑を進むと,本来の通路につながり,一気に4000年以上昔にタイムスリップします。ところで,盗掘坑が掘られたのが9世紀なので,すでに1200年近く経っているわけです。盗掘坑も相当歴史的に古いんですね。
足下には角材が階段状に並べられ左右には手摺りがある。大回廊に出ると一安心。背中を伸ばして歩けます。背中をかがめ,息を切らしながら登る。 さて,エジプトに着く前,日本にいるときにピラミッドの内部について想像していたことがいくつかありますが,そのなかで,外は暑くても中はひんやりしていて,きっと気持ちいいんだろうなぁという考えがありました。でも,それは甘い考えだったと気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。たとえればまあ,サウナですね。玉のような汗がぽたぽた落ち,汗腺から汗が噴き出すのがよくわかりました。
 ともかく,盗掘坑から数十メートルほぼ水平に進み,本来の通路につながってからが,きついんです。狭く急な上昇通路を腰をかがめながら手摺りにつかまってよじ登るように進みます。すると,急に天井が高くなります。大回廊と呼ばれるそこは,高さ8mあります。天井に向かって逆階段状に徐々に狭くなるようなつくりをしています。当時どうやってこんな精巧なものを作ったのでしょう。ピラミッドの外観からはとても想像ができません。
王の玄室から見た大回廊の入り口(出口の方を向いて撮影)クフ王の石棺に入って記念撮影。クフ王の玄室で石棺をバックに撮影。 そして,さらに上昇通路を進むと,通称「王の玄室」に到着します。王の間の壁面や天井はまっすぐ切られた石がぴしっと90度に組まれていて,その一番奥にクフ王の石棺が置いてありました。もちろん,石棺以外は何もなく,蓋の取れた石棺がひとつぽつんと置かれているだけです。(石棺といわれているものは,実際は王の石棺として用いられていたのではないということは,近年では通説となっています。)
 実際は,ミイラ見つからず,ピラミッドそのものが墓ということではないといわれているので,クフ王がそこに眠っていたのではないようです。しかし,ここにクフ王が眠っていたと思うと,心臓の鼓動が高鳴り,とても興奮してきます。ガイドが冗談半分に「クフ王の棺の中に寝っ転がって写真を撮っていらっしゃい」と言ったので,迷わず石棺の中に入り,記念写真をパチッと撮りました。私たちがそれをすると,遠慮していた他の人たちも次々に入るのでおもしろかったです。
 玄室の両側の壁には穴が2つ空いています。これは,4000年以上前に作られた換気口というから本当に驚きです。他にもこのピラミッドには数々の仕掛けのようなものがあり,王の玄室の上には「重力軽減装置」があったり,他にも地下の玄室や女王の間などが見つかっているようです。日本の早稲田大学の研究者たちが発見した部屋などもあり,もしかしたら,まだまだいろいろな発見が今後あるかも知れません。先に書きましたが,ピラミッドの謎解きはまだまだ続きそうです。
 行きに急な上り坂だった通路は帰りは急な下り坂。足下に気を付けながら下っていきます。よくもまあこんなものを作ったものです。ところで,ピラミッドは,奴隷の強制労働で作られたという誤解があるようですが,実は,そうではないそうです。ヒロドトスの著作にそう書かれていたため,そのような認識ができてしまったそうですが,最近の研究では,当時の雇用対策事業だったという説が有力なようです。農民の雇用対策としてピラミッド建造という雇用機会を王たちが作ったというわけです。一年のうち,ナイル川が雨期で氾濫し農作業ができない3ヶ月ほどの期間を利用してピラミッドを造ったということです。ナイル川の氾濫は,アスワンなどで切り出した石を運ぶのにも好都合だったわけです。農民達は単に生活のためだけではなく,当時神とイコールである王のために,永遠を象徴するピラミッドの石を天高く積み上げる作業に携わることによって,自分たちの死後の平安を願ったのだそうです。
 クフ王が即位してすぐにピラミッドの建造は始まり,20年をかけて作られたということですが,実際は1年のうちの3ヶ月間だけがピラミッドを造る機関だったので,実際は正味5年でできたということですね。それにしても,何人の人々がピラミッドの造営に関わったのでしょう。今のように重機があるわけでもないし,時間の人,そして,素晴らしい知恵と英知の結晶ですね。
 とにかく,自分の目に飛び込んでくるものをはじめ,五感を通して感じることのできる様々のもすべてが感動でした。ただ,一つ予想外だったのは,ピラミッドを出たときに足腰を襲う痛みです。股やふくらはぎ,腰といった各部が,想像以上に張り,痛みました。無理な姿勢が効いたのでしょう。
 私たちにとってラッキーだったのが,2002年7月まで禁止だったピラミッド内部の写真撮影が解禁になったということです。7月以前は,ギザの3つのピラミッド共通で外からの写真撮影料が10エジプトポンド,ピラミッド内部の写真撮影は禁止ということだったので,とてもラッキーでした。

《カフラー王・メンカウラー王のピラミッド》

 ギザの三大ピラミッドのうち、カフラー王のものだけは頂上付近の化粧岩が残っています。完成したときは、大理石の化粧岩が全面に貼り付けられていたのでしょう。クフ王のピラミッドとほぼ同じ高さがあり、見た感じでは違いがわかりません。保存状態が大変よい美しいピラミッドです。
 中には入りませんでしたが、こちらも入ることができるようです。クフ王のピラミッドへ入場する人が多いため、比較的空いていて静かだとか。
 カフラー王のピラミッド正面には葬祭殿があり、ここから参道がまっすぐ河岸神殿まで通じています。これらはまとめてピラミッドコンプレックス(後述)と呼ばれています。
 最後がメンカウラー王のピラミッド。他の2つと比べ高さは半分程ですが、それでも70m弱あります。砂漠の向こうはもうリビア砂漠。果てしなく砂の海が続いていました。
 ここを過ぎてちょっと進むと、観光バスがたくさん止まっているところがあります。まわりには何もありません。?と思って、しばし考えました。納得です。写真撮影ポイントです。3つのピラミッドをバックに記念写真を撮るのに、まさにベストポイントです。記念に写真を撮ってみました。

 

《これは必見!「太陽の船博物館」》

 クフ王のピラミッドの裏に、あまり目立ちませんが、「すごいもの」があります。観光コースからも省略されがちで、ガイドブックにも片隅に少しだけ触れられている程度ですが、ひょっとしたら、ピラミッドよりも考古学的価値は高いかも知れません。なんと4000年以上前に作られた巨大な木製の船が完全な形で展示されているのです。4000年間、木でできたものが残っているということもさることながらその大きさや保存状態のよさには驚きです。
 全長43m、太陽の船と呼ばれるその船は、太陽神が天空を航行するための「昼の船」と「夜の船」のことで、死後の神となった王のために納められたのではないかと言われています。14年の歳月をかけて修復・組み立てが行われ、発見場所の上に立てられた「太陽の船博物館」にその威容を見せています。また、組み立てられ、一般開放されているこの太陽の船とほぼ同じものが、分解されたままピットに納められたままもう一隻あり、そちらも復元が検討されているそうです。
 同じ形状の船がエジプト各地のレリーフや壁画、パピルスなどに描かれていて、この旅行の中で何度か眼にすることができました。

 館内はフラッシュ撮影禁止ですが、写真を撮ることはOKでした。
 Data:ギザの写真撮影料…無料(2002年8月から)、フラッシュOK

【ギザのスフィンクス・ピラミッドコンプレックス】

《ピラミッドコンプレックス・スフィンクス》

 ピラミッドを中心とした複合的な建造物全体をさして,ピラミッドコンプレックスと言います。カフラー王のピラミッドの前にある葬祭殿,参道,スフィンクス(スフィンクス神殿),そして河岸神殿全部を合わせて,一連の建造物は,どれも見応え十分です。
 ピラミッドコンプレックスを構成する建造物の中でも,ピラミッドの前にあり,王の顔をしたスフィンクスは,最も有名なものの一つでしょう。全長57m,高さ20m,もちろんエジプト最大の大きさを誇る大スフィンクスは,カフラー王のピラミッド建設の石切り作業の際に排出された岩を使ってつくられていると言われています。スフィンクスはアラビア語でアブル・ホール(畏怖の父という意味の言葉)と呼ばれ,大事に崇められてきたようです。
 入り口から写真を撮ると,右にクフ王のピラミッド,左にカフラー王のピラミッドが見え,カフラー王のピラミッドの下にスフィンクスが鎮座しています。スフィンクスの手前左側には河岸神殿,スフィンクスからピラミッドに向かって参道が伸びていて,ピラミッドのすぐ下に葬祭殿があります。
 カフラー王の顔にライオンの体をしたスフィンクスは,できた当時あった高い鼻はアラブ人によって削り取られ,長いあごひげもイギリス人に剃られ,今では畏怖というよりも,愛らしい感じさえします。現在あごひげはイギリスの大英博物館にあり,エジプト政府は返還して欲しいと交渉をしているそうです。他にも数多くのものが大英博物館にあり,私も個人的に,エジプトのものは,エジプトにあるのが自然だと思いますので,返すことができるのなら返して欲しいと思います。
 スフィンクスの入場料は,ギザのピラミッドとは別で,カイロから来るバスの停留所のすぐ脇にあります。ピラミッドコンプレックスの中に入ると,まず,河岸神殿があります。河岸神殿の大きな役割の一つが,ピラミッドを造る場所であるということです。複雑な石組み(三次元的な凹凸構造)でできており,当時の建築技術の高さが伺われます。
 河岸神殿を抜けると,目の前にスフィンクスの姿が突然現れます。とにかく大きいスフィンクスです。遠くから見たときは,かなりかっこよかったのですが,すぐ近くで見ると,風化が進んでいて,いずれ砂となって消えてしまうかのような感じでした。
 スフィンクスは,建造後から時とともに徐々に砂に埋もれ,(途中ラムセス2世などにより修復されるなどして,)やがてまた,時とともに姿を現したそうです。完全な姿が見られるようになったのは,20世紀に入ってからですからごく最近のことです。風化の進むスフィンクスのことを考え,現在修復も検討されているそうです。イギリスからあごひげが返還され,削られた鼻も修復されたスフィンクスを,また,見てみたいものです。

《ラクダ乗り》

 今回のエジプト旅行で実現したかったことの一つに、ラクダ乗りがありました。行きの機内でガイドへの要望で書いたところ、他にも希望者があったということで、コースの中に急遽入れてもらえることになりました。少人数ツアーのメリットです。
 ピラミッドの見えるところで、ラクダ使いがやってきて、お金を支払いいざラクダに乗ります。ラクダが膝を折り曲げ、背中に手が届く高さまでしゃがんでくれます。乗り込むのはそれほど大変ではありませんでしたが、動き出すと、その今までにない不思議な揺れに興奮してしまいました。
 チップを払い、ピラミッドをバックにラクダに乗っているところを撮影してもらいました。
 およそ10分程度の体験でしたが、ピラミッドをバックに砂漠をラクダで歩くという体験はめったにできないでしょう。いい思い出になりました。

【パピルス専門店】


 おみやげとして、絶対に自分用に買って帰りたかったのが、本物のパピルス。それも、絵が綺麗なもの。粗悪品が多いという前情報だったので、いいものが手にはいるかと不安に思っていましたが、今回案内してもらったお店のものはとても綺麗でホッとしました。
 お店の入り口を入ったところで、パピルスの作り方の実演がされていて、奥では色をつけている人もいました。
 店内にあるものは、2つとして同じものがなく、大きさや色数などによって値段がだいぶ異なり、オーソドックスな図柄から、近代的なものまで多種多様なものが展示即売されていました。納得のいくものを買おうと思い、慎重に選びました。時間がかかってしまいましたが、満足のいく買い物ができました。記念に自分の名前も入れてもらい、日本に帰ってから表装することにしました。

ホテルの部屋からの眺め【ピラミッドの見える部屋】

 このツアーの売りの一つが、ギザでのホテルがピラミッドの見える部屋であることでした。メリディアン・ピラミッド(Le Meridien Pyramides)というホテルで、ピラミッドまで徒歩10分の距離にあります。ピラミッド周辺で最大規模のホテルで、ピラミッドを望む屋外温水プールや、5つのレストラン、ショッピングアーケードなど、設備が大変充実しています。
 この日は東京出発から長い一日でした。到着したその足で観光だったため、疲れました。部屋で少し休み、夕食を食べてすぐに寝ました。
《夕食:バイキング》
 夕食はバイキング。普通のビュッフェスタイルでした。イスラム圏ではアルコールはタブーですが、ホテルや観光客相手のレストランでは普通に注文できます。(地方に行くと、ノンアルコールビールしかおいていないところもあります。)ステラという銘柄のビールを飲みました。渇いた喉には最高です。思ったよりもおいしく、ちょっと飲み過ぎちゃいました。