北淡町震災記念公園内 野島断層保存館
(兵庫県津名郡北淡町)
4月最後の土日,ゴールデンウィークに入ったが,あまり実感がなかった。天気も良かったので,淡路島にドライブに出かけることにした。
一番の目的は,阪神・淡路大震災を引き起こした活断層が地表に現れた部分をそのまま保存してあるという,北淡震災記念公園の中にある野島断層保存館だ。
鳴門から,淡路島に行くためには,鳴門海峡の上にかかる大鳴門橋を渡らなくてはならない。神戸淡路鳴門自動車道を通るわけだが,大鳴門橋を渡る最小区間の鳴門北ICから淡路島南ICまででも1150円かかる。痛い出費だった。
今回は,西淡・三原ICで下りて,淡路島の西海岸を北上するルートで北淡町まで走った。比較的いい道で,天気も良く快適だった。夕方,日が沈む頃には,綺麗な景色になるんだろうと思った。
野島断層は,1995年1月17日の明け方発生した阪神・淡路大震災を引き起こした活断層だ。このときは,総延長10kmに渡って活動し,右横ずれ断層と逆断層が合わさった動きをしたことが,この野島断層保存館を訪れることにより実感できる。
屋根のかかった部分には,地表に現れた断層のうち,140mの区間がそのまま保存,展示されていた。活断層と地震の関係についての調査や研究の様子がパネルで展示されており,断層のありのままを見ることができた。自然の脅威を実感できるようにと造られた保存館だ。
田んぼのあぜ道がずれた様子や,民家の生け垣がずれた様子,連続した地割れなどをありのままの姿で見ることができた。
また,保存エリアの一番終わりの部分は,断面が分かるようになっており,断層面やずれの様子がはっきりと分かるようになっていた。岐阜県の根尾谷ほど大規模な断面ではないが,断層がはっきりとわかる。
保存されている部分は140mだけだが、野島断層は南北に約10km続いている。現在,町は復興し,断層のあとを見ることができるのはここだけとなったが,当然地中には活断層として残っているわけだ。約1000年〜2000年ぐらいの周期で動くため,次に動くころには,町はどうなっているのだろう。
屋根がかかった保存エリアの外には,メモリアルハウスと名付けられた家が当時のまま残されている。この家は,まさに断層の上にあると言ってもよい。震災直後,ヘリコプターからの映像で,全国に放送された畑の中のあの一軒家である。塀で囲まれた敷地のど真ん中を断層が横断し,庭のコンクリートの部分と,住居部分の境付近がちょうど断層で1m以上ずれたのだ。
右横ずれ断層の影響で120cm横にずれ,逆断層の影響で90cm隆起したちょうどその上に建っているのだ。
震度7の地震に耐えたということで,メモリアルハウスというそうだが,庭のずれから想像される揺れに耐えたということは,やっぱりすごいと思った。実際,建物は一部が歪んだだけで,その後も持ち主は4年間生活していたそうだ。
現在は,町によって買い取られ,震災記念公園の中で貴重な資料として保存されている。震災直後の台所の様子が忠実に再現されていて,震災のすさまじさをはだで感じることができた。また,強固な塀が断層の力によってずれている様子や,庭の地面が1m以上ずれている様子が,はっきりとわかり,断層の動きや当時の揺れの大きさを想像することができた。
さらに順路を進むと,震度7の地震の揺れを体験できる所があった。ここでは起震装置により,阪神・淡路大震災のゆれが再現されていて,震度7の下から突き上げるような揺れと,その後の震度4程度の余震が連続して起こる様子を,住宅展示場の一室のようなリビングのモデルルームのようなところに入って体験することができた。
私も,せっかくなので体験してみたが,今から起きると覚悟し,足を踏ん張って構えていても,体が上下に激しく動かされ,地震のエネルギーの大きさと,人間の小ささを感じる結果となった。
太平洋側で,近々起きるのではないかと言われている南海地震や東南海地震,東海地震などで想定される震度も,6〜7ということで,地震の発生のメカニズムが違うので揺れ方は異なると思われるが,実際に,揺れたらさすがにたまらないだろう。
阪神・淡路大震災などの地震は,内陸直下型地震と呼ばれる。これは,大陸表層(比較的浅いところ)にある活断層が,活動することで発生するメカニズムだ。地震の規模は比較的小さく範囲も狭いが,内陸直下の浅いところで起こるために,大きな被害になることがある。また,プレート境界型と異なり,周期が1000年〜2000年と長く,予想したり,日頃の備えがないところに起こることが多い。
一方,関東大震災や東海地震,東南海地震,南海地震などは,プレート境界型地震とよばれる。これは,重い海洋プレートが軽い大陸プレートの下に沈み込むときに,大陸プレートを引きずり込み,その大陸プレートの歪みが限界を超えて跳ね上がることで巨大地震が発生するメカニズムだ。約50〜150年周期で起こり,規模も大きく,広い範囲に影響する。前回の記録が比較的新しく,地震に対する備えや行政の防災システムも確立されている場合が多い。
神戸もそうだが,あの多くの犠牲者を出した悪夢から,復興を遂げたようすを見ると,人間の力のすごさを感じる。地震大国日本に住んでいる以上,自分が同じような地震に遭遇する可能性は低くはないだろう。地震の予知の技術が上がり,防災対策が進み,一人でも犠牲者が少なくなることを祈っている。